2017年7月1日

モデル・俳優 栗原類「お母さんたちも自分の時間を大切にしてほしい」

学校を初めて「楽しい」と 思えた高校時代

幼少期から海外で多くの時間を過ごしていた栗原さんは、5歳で母とNYへ移住し、6歳から現地の小学校へ入学、その後小学5年生で日本に帰国。NY在住時も長期休みの間は一時帰国して日本の小学校に通っていたものの、英語が第一言語の栗原さんにとっては、それまでより居心地のよくない学校生活が始まる。

――中学校ではいじめにあったそうですが。

 そうでしたね。身長は高くてハーフだからすごい目立って、上級生に標的にされやすかったので、登校拒否になって。母親には転校を勧められたんですけど、小学校の頃から仲のいい友達もみんなそこにいたので「友達と別れるのは嫌だ」と。「じゃあ学校に行け」、「でも上級生に会うのは嫌だ」、「じゃあ転校」、「でも友達……」みたいなやりとりを何度も何度も繰り返していましたね。でも、登校拒否と言っても2週間ちょっとで、その後、また通い続けることはできました。

――よく乗り越えられましたね。

 主治医の先生にも「中学校を乗り越えられたから今がある」と言われるんですが、「いや、僕、中学校で何をどうやって乗り越えましたっけ」というくらい、記憶がないので。楽しかった思い出もそうなんですけど、嫌な思い出もそこまで残ってないんですね。だから「よく乗り越えた」というのがいまだにわからないんです。でも「たとえ覚えていなかったとしても、自分自身が本当に辛いと思えた時期を自分で乗り越えられることができたから今に結びついている」と先生はよく言ってくれます。

――高校受験のときにも、かなり苦労されたと。

 中学生の頃からモデルの仕事を始めて、ずっとモデルは続けたいと思っていたのですが、そもそもアルバイトや仕事がOKな高校は限られてくるんです。演劇系を学べるような高校に願書は出したりしたんですが、勉強自体があまり好きではない上に、危機感が全然持てなかったタイプなので、「成績をもっと上げないと」って考えられなかったんですよね。それにより、行く学校も限られてきたんですが、運よくある高校に合格できたんです。本当に、高校受験まで、母親には必要以上に迷惑をかけたと思いますね。「このままだと中卒になってしまう」と気づいてはいたんですが、それまでずっと自分から動いたことがなかったので、動き方の発想がなかったです。ほとんど母親に頼りっぱなしになってしまいました。
 高校時代は、学校生活においては一番楽しかったです。中学校時代は「楽しかった」と言えるような思い出は一個もないんですよね。でも高校は知り合いがほぼいなかったので、みんな僕に先入観を持たずに、卒業するまでずっとフランクに接してくれた。それによって僕は本当に初めて学校を「楽しい」と思いました。
 大学受験も、いつかしたいとは思うんです。やはり海外の役者さんは若手もベテランも、みんな基本的に大学を出ているんです。僕も海外を視野に入れているので、時間がかかったとしても大学はいつか通いたいと思いますね。受験勉強を自分から頑張れたことがないので、それも次の目標のひとつかなと思います。

シェア
ツイート
ブックマーク
トピックス

ページトップへ