2021年1月15日

中野信子さんロングインタビュー。私が生きていくには、自分で脳を研究しないといけないんだと思いました【前編】

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人間社会の動きや、人の行動・心理をわかりやすく読み解き、学者の域を超え活躍する中野信子さん。中野さん自身、生きやすさを求めて選んだという脳科学者への道。
ご自身の幼い頃のことなどに
ついて伺った、kodomoe2018年10月号のロングインタビューを全編公開します。

※kodomoe2018年10月号に掲載のロングインタビューを全文公開。記事の内容は取材当時2018年のものです

Profile
なかののぶこ/1975年東京都生まれ。脳科学者、医学博士、認知科学者。東京大学工学部応用化学科卒業、同大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。2008年にフランス国立研究所にて博士研究員として勤務、2010年帰国。現在東日本国際大学教授。

みんなの了解事項を
自分だけが知らない

『「嫌いっ!」の運用』(小学館新書)、『ペルソナ 脳に潜む闇』(講談社現代新書)など、次々と話題作を上梓している気鋭の脳科学者、中野信子さん。科学の視点から人物や人間関係を解き明かし、TVのコメンテーターとしても広く活躍。
そんな中野さんは、子ども時代はまわりの空気を読めない、周囲から浮いた存在だったという。

――幼い頃から、「自分はまわりと違う」と感じていたそうですね。

物心ついた頃には、そう感じていました。「気づいたら違っていた」という方が正確かな、と思います。幼稚園でまわりの子たちから「違う」と言われるので「違うな」と思ったんですけど、どう違うのかはよくわからない。「変だ」と言われてました。

――「変だ」。それは例えばどういうことで?

それがわかれば、もっと変じゃなかったんでしょうね(笑)。

――自分では普通のつもりでいて。

普通というか、自分はそれ以外のふるまい方を知らない、そういう感じです。同世代の子とのつき合いよりも、本を読んでいる方が楽でしたね。文字情報の方が楽でした。音声言語情報よりも。

――女の子と男の子、どっちの方が楽とかはありましたか。

女の子の独特のコミュニケーションの取り方は苦手だなと思っていました。女性は音声言語情報と非言語的なメッセージに頼ることが多いので、そういうのを読み解くのがすごく難しかった。その読み解きができないと女の子の輪の中にはなかなか入ることができないので、負担が大きいなと思っていました。男の子の方が比較的そういう情報を使わずにコミュニケーションを取るので、楽でしたね。

女の子のみんなで一緒に行動する感じや、目立ったらいけない感じ、そうした、みんながいつのまにか了解している事項を、自分だけが知らない状態に置いておかれているという感覚がありました。「何かまずいことがあるんじゃないか」「知らないことがあるんじゃないか」と、不安をあおられる感じがありましたね。

――その違和感というのは、その後もしばらくは続きましたか?

今でもあります。これは死ぬまでつき合うものなんだと思ってます。でもなんとか生きていけることはわかったので。もうしょうがないな、と(笑)。自分の体の一部のようなものですね。

中野信子さんロングインタビュー。私が生きていくには、自分で脳を研究しないといけないんだと思いました【前編】の画像1

脳の問題を解決しないと
きっと生きられない

――それでも昔よりは、その違和感は軽くなりましたか? 例えば、東大に進まれてからは。

違和感は違和感のまま置いておいても、生き死にには関係ないんだなということがわかりました。割とこの感じを多くの人が持っているのかな、ということも徐々にわかってきましたし。
解決できなくてもいい問題もあるんだと。大学に入ったら、意外とコミュニケーションを取らない人が同級生に多くて。私は「変なんじゃないか」と思っていたけれども、結構みんな変なんだ、っていうことがわかる環境に行くことができたのが大きかったのかなと思います。コミュニケーションが下手な分、勉強に逃げたんだなっていう子たちがたくさんいて、ちょっと安心した部分がありました(笑)。

――なるほど。脳科学の道に進むことを具体的に意識されたのは、何歳ぐらいの頃ですか。

中学生のときです。脳も人体の一部ですから、しゃべったり理解したり、まわりの状況を把握したりっていうことには必ず脳を使っているはずですよね。みんなが了解していること、言語を使わなくても了解できる何らかの非言語的メッセージを、少なくとも私以外の人は自然に受け取っているようだ。
なのに、私は自然には受け取れない、頑張らないと受け取ることができない。「これは、脳に何らかの問題があるんだ」と思いましたね。「これを解決しないと生きられないんじゃないか」と、心配になりました。

で、解決するにはどうすればいいのかと、より詳しい本を探そうとしたんですけど、そういうものがないんですよね。神経細胞の構造や脳内物質の話であったり、あるいは心理学寄りの話はあるのに、その間の部分が抜けてるんです。
そこの話がない、誰も研究していない。となると、私が生き残っていくには、生き延びていくには、ここをなんとか自分で埋めないといけないんだと思いました。

――生き延びていくには。それぐらい生き辛さも感じていました?

生き辛いというのとは違うんですが、……例えて言うなら、暗い夜道を歩くのに、みんなは生まれつき灯りを持ってるけれど、私は持ってない。その灯りをなんとか手に入れないといけないと思っていたわけです。
で、なんで私がそれを持って生まれてきていないのか、どうすれば道を照らすことができるのか。できないとしたら手探りででも進んでいく方法はあるのか、それを知りたかった。

――中学生のときに。

やっぱり、考えるんじゃないかなあと思います。大人になるとみんな忘れちゃうんですけど、中学生くらいの頃って体も変わってきますし、「大人になったらどうしよう」っていう問題に直面してきて。まだ子どものようだけれども、戦国時代だったらもう元服して初陣を飾るような歳ですから。
「自分がこの後の何十年かをどうやって生きていこう」っていうのを考え始める歳としては、そんなにおかしくないのかな、と思います。

――そうした考えを、お母さんにご相談されたりとかは。

いやあ、母はこういう話は嫌いです(笑)。「そんなに一生懸命考えると疲れちゃうからやめなさい」って言う人ですね。子どもがそういう気持ちを抱えてるのが、なんかいたたまれないんでしょうね、親としては。

なんか、あんまりいい成績取っても喜ばれなかったんですよねぇ。むしろ心配された。「頑張り過ぎてるんじゃないか」とか、「無理してるんじゃないか」とか。全然そんな意識は私にはなかったんですけど。かえって、あんまり突出すると心配させちゃうんだな、って思いましたね。
「普通でいてくれればいいよ」って言われるんですけど、その「普通」がわからなくて。だから本を読んだりしていても、中学生にしては大人っぽいものだと、捨てられそうになったり。一生懸命勉強しようと思っても、隠れてやったりしていました、怖がらせないように。
お母さんって逆に「勉強しろ」って言う人が多いのかもしれないけど(笑)。でも、子どもを心配するっていう点ではきっとどのお母さんもみんな一緒なのかなって思います。気に掛けてくれていたという意味では、すごく愛情深くいてくれたんだなと思ってます。

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