2026年7月7日

【ロングインタビュー】作家・文化昆虫学者 篠原かをりさん「子どもがどう言葉を獲得していくか最初の100語をメモしていました」

メディアで見せる博識でほがらかな人柄が魅力的な篠原かをりさん。持ち前の好奇心で育児や仕事と並行して大学院での研究に取り組むなど、順調にキャリアを積んできたように見える篠原さんですが、学校や勉強は大の苦手だったそう。それでもめげずに前に進む原動力となったのは、ご両親の存在と「生き物が好き」という気持ちでした。
kodomoe webでは、本誌の貴重なインタビュー冒頭をご紹介します。

【ロングインタビュー】作家・文化昆虫学者 篠原かをりさん「子どもがどう言葉を獲得していくか最初の100語をメモしていました」の画像1

ファンタジーだった生き物が
いつしか現実世界に近づいて

子どもの頃から生き物好きで、文化昆虫学者としての顔も持つ作家の篠原かをりさん。このインタビューの撮影でも、昆虫の話になるとミツバチが仲間に花の蜜や花粉のありかを伝えるときの動きを手ぶりでユニークに教えてくれました。今春には自身初のエッセイ集『地図はない、目的地もない、でも迷子ではない』(NHK出版)を発表。自伝的エッセイには、小学生時代のこと、夫である「Quiz Knock」の河村拓哉さんのこと、先日2歳になったお子さんのことなど、篠原さん独自の視点でつづられています。

――お子さんと過ごす日々はいかがですか?

赤ちゃんという存在自体、どこか現実味のないところがあるんだなと思いました。こちらからすると別の生き物のように感じてしまうことがあるんです。たとえば、離乳食に入り始めたばかりの頃って、イチゴばかり食べるみたいな時期がありますよね。口からイチゴの匂いしかしなくて、なんだか人間というより、ファンタジーの世界の生き物みたいだな、と。

それでもだんだん自分で立ったり、歩いたりできるようになって、いろんなものを食べるようになって。気づいたら人間の匂いになってきたなと思うんです。ファンタジーの世界にいた生き物が、少しずつこちらの世界に根を下ろし始めているような感じがしています。

――お子さんも昆虫や動物に興味があるのでしょうか。

それが、絵本などに出てくる昆虫は好きで『はらぺこあおむし』(エリック・カール/作 偕成社)がお気に入りなのですが、本物はちょっと苦手みたいなんです。動物園に行ったときも、昆虫館でチョウチョウが自分のそばに飛んでくるとひるんだり、昆虫のふれあいコーナーで「あ、虫に触らされるんだ」と気づいた瞬間に「イヤ!」って言い出したりして。でも、標本のように、もう動かないものに対しては妙に強気で。自分から捕まえようとしたりします。

これが生きているものなのか、もう動かないものなのか。そもそも「生きている」ってどういうことなのかも、まだはっきりわかっていない時期だと思うんです。それでも、生きているものは怖がって、動かないものには手を伸ばす。その境目を行ったり来たりしているような感じが、見ていて面白いんですよね。

――お子さんにはお子さんの、昆虫との距離感があるのですね。

そうなんです。もともと子どもと自分はどこが同じで、どこが異なるのかということに興味があったのですが、遺伝もあるだろうし、結局は自分たちと似たタイプになるのかなって思っていたんです。でも、まったく違うんですよ。

――お子さんのタイプは?

うちの子は大らかで快活で、なんでも王道なものが好き。この子が自分の同級生にいたら私に明るく話しかけてくれるだろうけれど、私はおどおどしちゃって何も話せないかもしれません(笑)。生まれる前から我が子は自分たちとは違う個人として尊重しようと思っていたんですけれど、生まれてみたら、心配するまでもなかったと思うくらい違うタイプです。

――我が子であっても、親とは別の感覚を持った存在として見ているのですね。

でも、やはり環境の影響は受けるんだなと思うこともあるんですよ。赤ちゃんが話し始めた頃に出てくる言葉をまとめた調査があるんですけれど、その結果の上位100語に「ママ」や「アンパンマン」は入っていて、昆虫の名前はひとつも入っていなかったんです。

それで、うちの子の場合はどうなるんだろうと思って、最初の100語を記録してみたら、100語出た時点で昆虫が8種類入っていて。私がしょっちゅう昆虫柄の服を着ていたりするので、誰よりも虫が目に触れる頻度が高い環境で育っていることは間違いない(笑)。妙に納得してしまいました。

――お子さんが話した言葉をすべて記録していたのですか?

はい。子どもがどんなふうに言葉を獲得していくかが気になって、最初の100語をメモしていたんです。身近に赤ちゃんがいる機会はなかなかないし、「今しかできない!」と思って。私がそばにいるときに聞くことができた順番なので、厳密ではないんですけど。

――結果が気になります。

1歳1か月のときに話し始めて、1歳6か月か7か月くらいで100語に届きました。ひとつめの言葉は「パパ」。そこからしばらく「パパ」だけの期間が続いて、「じいじ」「ばあば」とか、親戚フルメンバーが出てからやっと「ママ」。どうやら、ま行の発音が難しかったみたいなんです。なんなら「ヘリコプター」とか、ちょっと言いにくそうな言葉が先に出ていました。

――お子さんが「パパ」しか言えなかった時期、篠原さんはどのように呼ばれていたのですか?

 「パパ」です。途中で「パパではないらしいぞ!?」って気づいたみたいなんですが、「ママ」が言えないので、なんだか困っている感じでしたね。でも、私はちっとも嫌じゃなくて。「『パパ』しか言葉を持たない生き物、愛おしすぎる!」って思っていました(笑)。

考えるより先にまず動く
失敗すらも気づきのきっかけ

――篠原さんの子ども時代のお話も伺いたいのですが、いつから生き物が好きだったのでしょうか。

きっかけははっきりと覚えていなくて、気がついたら生き物が大好きな状態で人生が始まっていたという感じです。当時、住んでいた家の近所に入園無料の動物園があって、毎週というより、もう毎日のように通っていました。昆虫も動物も、命あるものはなんでも好きです。

――どんなお子さんでしたか?

やってみたがりで、知りたがりでしたね。学んだことを何かに役立てたいというわけではなくて、考えるよりも先に「やってみたい!」が先にくるタイプです。たとえば、外食のときに鉄板に乗ったハンバーグが運ばれてきたら「熱いのでお気をつけください」って言われる前に手が動いちゃう。「熱そう! どれくらい熱いのかな?」って思ったら、もう鉄板を触っているんです。

――ご両親は、どこか心配しながら見守っていたのでは?

うちは父もなんでもやってみたいタイプだったので、細かいことを言われたことはないんです。母は心配性ですけれど、のんびりしているところもあって、私が何かしでかすスピードについていけず、結果的に野放しになっていたという感じだったんだと思います。

――何事も自分で確かめてみたくなるお子さんだったのですね。

やり方を知らなくても、気になることは見様見真似でやっていましたね。どんなことも「やればできる!」って思っていたんです。

クッキーを作っているところを見たことがあって、あるときに自力で作ってみたんです。「生地っぽくならないなあ」なんて思いながら材料を混ぜて、とりあえずオーブンで焼いてみたら、天板一面の卵焼きができたこともありました。卵と牛乳と砂糖を入れることは見て覚えていたんですけれど、肝心の小麦粉を入れるところは見ていなかったんですよね。

――クッキーとしては失敗だった思うのですが、落ち込むことはなかったのでしょうか。

それが、弟に食べさせたら、すごく喜んでくれたんです! 弟は卵が大好物だったので。ほかにも同じようなことは何度もしましたね。べっこう飴を勘でつくったら、焦がして真っ黒になっちゃって。「黒くても、まあいけるだろう」と思って、これもまた弟に食べさせたら「苦い」って言われて。でも、そこで落ち込むわけでもなく、「そうか、これは苦いものなのか」って、ただ結果として受け取るといった感じでした。

――「失敗した」と気にしてしまいそうなことを、発見として捉えていたのですね。

どうなんでしょう? とにかく数を打つタイプだったので、失敗しても、ひとつひとつをそれほど重く受け止めていなかっただけのような気がしてきました。

――小学校受験で私立の女子校に入学されていますね。ご両親は教育熱心だったのでしょうか。

父はどちらかと言えば「そんなに小さいうちから受験なんて」と思っていたようですし、母もそこまで教育熱心なタイプではありませんでした。私が通っていた幼稚園が、たまたまお受験をする子が多かったこともあって受験させたのだと思います。

――小学校受験となると、入念に準備するイメージもありますが。

たくさん勉強させられたとか、つらかったとか、そういう記憶はないんです。どうやら母はお受験のことをそこまで調べていなかったみたいなので、勢いで乗り切ろうしたんじゃないかな。弟のときはすごかったんですよ。周りはみんな紺色のベストなんかを着ているのに、うちの母は、なぜかベッカムのユニフォームを弟に着せていったんです。当時、母はベッカムが好きだったらしいので、それが勝負服だったのかな。紺色の集団の中に自分だけベッカムのユニフォームで慣れない場所に連れていかれるなんて、弟のことを考えると本当にいたたまれない(笑)。

――お母さまの勢いが素敵です。

母も私と同じように「やればできる!」と思っていたのかもしれません。それを思うと、自分は父の好奇心旺盛さと、母の無鉄砲さが組み合わさってできた人間という感じがします。まさに「この親にしてこの子あり」ですね。

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ズレを感じていたけれど
守られていたのかもしれない

――小学校に入学してから、ギャップを感じたこともあったそうですが。

周りは本当にしっかり者のお嬢さんで、なんでも完璧にできちゃうような子ばかり。自分はあまりにもできなくて、もはやできないことが悲しいとか、つらいとかすら思えない感じでした。「自分は他の人と違うのかもしれない」という自覚はあったんですけれど、クラスメイトから仲間はずれにされるようなことはなかったし、あまり深く考えていませんでした。

――先生方は、どのように接していたのでしょうか。

手こずっていたのか、教室での私の席はみんなの列からぽんと外れて、先生の教卓の横が定位置だったんです。当時の私って、鉛筆なんかを落としても「拾う」という概念がなくて、持ち物が自分の視界から消えたら「なくなったなあ」と思うだけ。クラスの誰かが拾って落とし物箱に入れてくれるから「なくなったらここから取ればいいんだ」と気づいて、解決した気になっちゃう。それを先生に注意されるんですけれど、自分ではダメなことだと思っていないから「どうして怒られているんだろう?」って思っていました。一度、4年生で不登校になってしまったのですが、それも1年間だけで。

――子ども心にはつらく感じてしまいそうですが。

ただ、クラスメイトには恵まれていたんですよね。大人になって、別の学校に通っていた友人に小学生の頃のことを話していたときに「公立校に行けばよかったかな」と言ったら、「いじめられていたと思うよ」と。そのとき、何かが腑に落ちたんです。当時の友達は明らかにひとりだけ浮いていた私を受け入れてくれていたんだな、と。人を下げたり、意地悪したりしない彼女たちの雰囲気に私は守られていたのだと気づいて。

みんなは当時のことを私以上に覚えているんですけれど、今でもそれを面白がったりせずに接してくれるんです。周りがそんな人ばかりというのは当たり前ではないですし、あらためて、安心していられる場所で過ごせていたんだなと思うんです。気を遣って温かく迎え入れるわけでも、放っておかれるでもなく、高校卒業まで12年間、私の素の状態を受け入れてくれていたんです。

――多感な時期は「周りに合わせなくては」と思ってしまいますが、その必要がなかったのですね。

我ながら自分は幼少期から何も変わっていないなと思うこともあるんですが、変わらずにいられたのは、自分が強かったわけでなく、そのままでいられる環境の運の良さがあったからだと思うんです。

後編では、ご自身の中学時代のお話や、子育てと仕事の両立についてなど、まだまだ続きます。篠原かをりさんロングインタビューは、kodomoe8月号でお楽しみください!

篠原かをり
しのはらかをり/1995年神奈川県生まれ。慶應義塾大学大学院修了後、同大学SFC研究所上席所員。2026年日本大学大学院芸術学研究科博士後期課程修了。学生時代にはTBS「世界ふしぎ発見!」のミステリーハンターとして活躍。著書に『かわいいが見つかる! 推しいきもの図鑑』(永岡書店)、『歩くサナギ、うんちの繭』(大和書房)など。

INFORMATION

【ロングインタビュー】作家・文化昆虫学者 篠原かをりさん「子どもがどう言葉を獲得していくか最初の100語をメモしていました」の画像3

『地図はない、目的地もない、でも迷子ではない』
篠原かをり/著 NHK出版 1870円
不器用でも、好きを追求し続けたら、作家・文化昆虫学者になれた。過去や日常を独自の視点で綴った言葉が、生きづらさを抱える人の背中をそっと押してくれる著者初のエッセイ集。

インタビュー/菅原淳子 撮影/山田薫 (kodomoe2026年8月号掲載)

kodomoe8月号ではさらに、篠原さんの中学時代のお話や、ご自身の子育てについてなどお話は続きます。

作家、文化昆虫学者・篠原かをりさんロングインタビューは、kodomoe8月号でお楽しみください!

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