絵本作家・江頭路子 絵本作家になったのは、思いがけないご縁がつながった「偶然」なんです
コドモエのえほんシリーズ『なきごえバス』で、MOE絵本屋さん大賞第1回パパママ賞第1位を受賞。その後、姉妹編『なきごえたくはいびん』を昨年12月に発売。その他にも次々と人気作品を発表し、今最も勢いのある新進絵本作家のひとりとなった江頭路子さん。出産とほぼ同時期に、絵本作家としての活動を本格化させましたが、育児と制作の両立はどうされているのでしょう? いつも優しい語り口で、おっとりマイペースさんに見えますが……内に秘められたバイタリティーの源に迫ってみました。
撮影/志田三穂子 取材・文/山縣彩
えがしらみちこ/1978年、福岡市生まれ。熊本大学教育学部卒業。静岡県三島市在住。主な絵本に『なきごえバス』『なきごえたくはいびん』(白泉社)、『あめふりさんぽ』『ねんねのうた』(講談社)、『せんそうしない』(谷川俊太郎/文 講談社)、『まだかな まだかな』(竹下文子/文 ポプラ社)、『おたんじょうケーキをつくりましょ』(教育画劇)などがある。現在kodomoeにて親子で手づくりして季節を楽しむ「手づくり歳時記」を連載中。
『なきごえたくはいびん』
白泉社 本体880円+税
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『なきごえバス』
白泉社 本体840円+税
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東京・三鷹にある絵本専門店「よもぎBOOKS」。昨年は江頭さんの原画展やワークショップも開催されたという間柄。今日はこちらをお借りして、江頭路子さんにお話を伺います。いつも外の仕事にはほぼ同行しているという、娘さん・あおいちゃんも一緒です。
やりたいと思ったら、やっちゃうタイプなんです
ーー娘さんのあおいちゃん、すっかり大きくなりましたね。今おいくつですか?
5歳になりました。年中さんです。
――早いですね! 『なきごえバス』のラフをkodomoeにお持ちくださったときは、まだ2歳でした。
そうなんです。来年は小学生になります。びっくりしちゃいます。
――絵本を描こうと思ったのはいつ頃ですか?
5年前くらいかな……。娘が生まれたあたりです。その頃はまだ絵本作家になりたい!というより、漠然と「絵を仕事にできたらいいな」って思ってました。イラストレーターなのか絵本作家なのかとかも、当時は実はよくわかっていなくて。はじめて個展をしたギャラリーの方が、出版社にDMを送ってくださって思いがけずご縁がつながったり、ウェブで私の仕事を見てお声がけしていただいたり。だから、絵本作家になったのは偶然なんです。絵本作家になりたくて、学校や塾に行って……とかだと説明しやすいんですけど、そういう感じではなくて、偶然の流れがあってふわっと作家になっていったので。
ーー最初は、ご自身の個展をするところからスタートしたのですね
その頃はまだ東京に住んでいて、絵画教室で受付の事務とかシステムの仕事をしてました。絵は趣味で描いていたんですけど、そこに勤めて、はじめて「プロになりたい!」っていう気持ちが高まった感じです。絵画教室の先生方が、展示をされることも多くて、個展をするノウハウが見ていてだんだんわかってきたので、私にもできそう、やってみたいと思って。
ーー江頭さんはお会いするとゆったりした印象を受けるのですが、お話を伺うと、要所要所ですごくアクティブですよね。
そうですね。やりたい!と思ったら、やっちゃうタイプなんですよね。あまり考えこまないで、すぐに行動しちゃう感じです。
ーー絵画教室では絵についてもアドバイスをもらいましたか?
いろんな先生と休憩時間におしゃべりするようになって、いろいろ相談にのってもらいました。私はイラストレーター志望だったんですけど、先生は画家の方が多くて。似ているようで実は違うジャンルじゃないですか。だからほんとは「なんて答えればよいのやら……」っていう感じだったかもしれないと、今は思うんですけど、悪い風には言われなかったから、当時は「向いてるんだ!」って前向きに思って。
ーー前向きさってすごく大事ですよね。最初に絵本を描こうと思ったきっかけは?
最初の絵本は、ブログで人気になっていた他の方の文章に絵をつけた『おかぁさん』というタイトルの絵本。ナツメ社さんという出版社で、初めて絵本を出されるということだったので、お互い初めて同士、「こんな感じかな」と探りながらの作業でした。
――当時、イラストの仕事はもうされてたんですか?
それが、そんなにしてなかったんですよ、雑誌でちょろっと描いてたくらいで……。ナツメ社さんは、私の個人のウェブサイトを見てご連絡くださったんです。その企画と同時進行で、作家のかんのゆうこさんとも。こちらも、アクセサリーブランドとコラボしたイラストの仕事をネットで見てくださって、絵本を一緒に作りませんか?って。それが『はこちゃん』(講談社)でした。この絵本は3年くらい出版社さんとやりとりしつつも、なかなか形にならなくて……。のちの「おさんぽ」シリーズの編集さんが担当してくださったんですけど、いちから教えてもらいながら描きました。でもその頃は子どももいなくて、絵本をそんなにたくさん知らなくて。自分で文章も書くということは、思いもしませんでした。