2026年9月19日

「母が最期まで母らしくいられるように、私に何ができるんだろう?」キクチさん×うつみさえさん対談【私たちの「看取り」・2】

『父の逝きざま 末期ガンの父を自宅で看取るまで』で父の看取りを描いたうつみさえさんが「看取り」をテーマにした作品を発表している漫画家を迎えて語り合う短期連載。第2回は『20代、親を看取る。』『父が全裸で倒れてた。』(以上、KADOKAWA)の作者・キクチさんです。

お父さまと2人でお母さまを介護したキクチさん。日に日に弱っていくお母さまを前に、残された時間でできることを進める一方、迷いや葛藤もあったといいます。さらにはお母さまを見送った翌年にお父さまが倒れ、これが親子で終活に取り組むきっかけになったのだとか。うつみさんとたっぷりと語り合いました。

中学生の頃から覚悟はしていたつもりが、なかなか現実を受け入れられず

うつみ キクチさんは中学生のときにお母さまにガンが見つかって、早くから親御さんとのお別れを意識していたそうですね。

キクチ はい。母のガンは寛解したのですが、60代になってから脳腫瘍が見つかったんです。母は心配をかけないようにと私にそのことを言わずに治療していたんですが、ある日、急に体が動かなくなって入院することになって。そこからほどなくして寝たきり状態になってしまいました。

中学生の頃から「うちのお母さんは、ほかの人よりも長生きできないかもしれない」と覚悟していたつもりでしたが、その頃はガンを乗り越えてすっかり元気に過ごしていたので、本当にショックで。なかなか現実を受け入れられませんでした。

私も同じように思ったことがあるんです。子どもの頃に友人のお父さんが早くに亡くなって、「人はいつ、何があるかなんてわからないんだな」って、そのときにはじめて死というものを意識しはじめた気がします。(うつみ) ©キクチ/KADOKAWA

うつみ それでもキクチさんは前向きに、お父さまと二人三脚でお母さまの介護に向き合っていて。どのような心境の変化があったのでしょうか?

キクチ 当時はコロナ禍で入院中の母となかなか面会できなかったんですが、ようやく会いに行けたとき、私が思っていた以上に母は弱っていて、しゃべることもままならなくて。「お母さんが亡くなってしまうかもしれないなら、メソメソなんてしていられない!」って思いました。

うつみ 60代というと、まだお若いですよね。介護や老後は先のことという感覚もあったでしょうし、「もしものときは、どこまで治療を望むのか」など、具体的に話す機会はあまりなかったと思うんです。

キクチ 本当にそうなんです。母からは「遺影はプロのカメラマンに撮ってほしい」「お墓はひとりで入りたい」といった話は聞いていたんですが、具体的に最期をどのように過ごしたいかまでは話せていませんでした。 自宅で介護することは、母本人の意思を確認せずに父と私で決めました。

コロナ禍だったので、病院にいては母の会いたい人に会うことができないというのがいちばんの理由ですが、ほかにも選択肢はあったんです。在宅介護を決める前、父と緩和ケア専門の病院にも見学に行ったのですが、「ここは母に合わないかもしれない」って感じて。父も同じ考えだったみたいです。

うつみ 「本人は病院や施設のほうが気楽なのかもしれない」「絶対に自宅で過ごしたいんだろうな」って、元気だった頃の性格や普段の様子から気持ちを想像できることってありますよね。長く一緒に過ごしてきた家族だからこそ、わかることがきっとあるはずだから。

キクチさんとお父さまと同じ考えだったということは、たとえ言葉にはされていなくても、お母さまがどうしたいかをおふたりとも同じように感じ取っていたからなのでしょうね。

キクチ 父と私はもともと考え方が似ていたからというのもあるのかなと思います。うちは親子仲が良いほうで、仕事観や物事の判断基準など、父の姿勢は自分の中でひとつの軸になっていたんです。

いつだったか、父と死に対する考えを話し合ったことがあったのですが、「遅いか早いかはあるけれど、人は誰でもいつか死ぬ」と、父が言っていたのを覚えていて。母の容体が悪くなってから「もしかしたら、お母さんは今がそのときなのかもしれない」と感じて、「母が最期を迎えるために、父と私で何ができるんだろう」というところに一気に気持ちが向きました。

おむつ替えを母が「すばらしい」ってほめてくれて

うつみ キクチさんの作品を読んでいて印象的だったのが、おむつ替えの場面なんです。お母さま、いやがりませんでしたか?

キクチ 在宅介護を始めて最初のおむつ替えが便の処理だったんです。父と2人がかりなのに、交換にすごく時間がかかってしまったんですが、母が「すばらしい」ってほめてくれて。母は退院した時点で寝たきりだったし、いやがっているかどうかもわからないぐらい衰弱していたんですが、手際が悪くても私たちが頑張ったことは認めてくれたのかなって思いました。

「ごめんね、ありがとう」「申し訳ないね」なんて言われたらこちらが恐縮してしまうけれど、そこをお母さまが笑っちゃうような感じにしてくれたんでしょうね。すごく素敵な場面でした。(うつみ) ©キクチ/KADOKAWA

うつみ そこで「申し訳ないね」なんて言われたりすると、お互いに恐縮してしまいますよね。

キクチ 「すばらしい」って、はたから聞くと少し上から目線に聞こえるかもしれないんですが(笑)、その言い方がなんとも母らしいというか。茶目っ気のある人だったんですよね。それを聞いて父と笑ってしまったし、母なりになごませてくれたのかなって思います。

うつみ うちの父は元気な頃、「家族に下の世話をされるのは絶対にイヤだ、施設に入れてくれ」って言っていて。在宅介護が始まってから、父はおむつ替えをされるたびに抵抗感があったんじゃないかと気になっていたんです。

でも、家族でテレビを観ているときにおむつのCMが流れて、父が笑いながら「おむつって、ほんまにすごいんやで! 出したらスーッと消えるんや!」って言ったんです。「えーっ、そうなの!?」なんて言って、私たちも盛り上がっちゃって。その瞬間、「本当はイヤがっているんじゃないかな」という引っかかりが取れたんですよね。父は父なりに、気持ちに折り合いをつけていたんだなと気づきました。

抵抗感があったはずのおむつ替えを、自らCMを見ながら笑ってくれたことで、家族の気持ちを楽にしてくれた。©うつみさえ/白泉社

キクチ 介護するほうも、されるほうも、最終的には受け入れるしかありませんよね。私も母に「ごめんね」って言われていたら、すごく負担に感じていたはずです。

母はさばさばした性格だったので、「おむつでしかできないなら、堂々とおむつでするわよ」という気持ちもあったと思うんですが、もしも自分が介護される側になったら、母のように状況を受け入れる強さを持ちたいなって思うんですよね。

 衰弱していても、お母さんはお母さんのままだった

 キクチ 私、自宅で介護が始まってから数日でメンタルが参ってしまったんですよ。夜も母のお世話で眠る時間が十分にとれなくて……。うつみさんは「つらい」「この生活がいつまで続くんだろう?」と思ったことはありませんでしたか?

うつみ 母と姉と3人でやっていたので眠れないということはなかったんです。あとは、父が私たちに気をつかって、何かあっても我慢していたのかもしれない。

実家に来て、お父さまと話しているシーン。仲は悪かったって描いていましたが(笑)、義理の息子だからこそ話しやすいことがあったのかもしれませんね。親子だからとか、血のつながった家族だから本音を言えないとかもすごくあるなと思っていて。だから母のことも、真意がわからないままで終わってしまったな、と。(キクチ) ©うつみさえ/白泉社

キクチ うちは夜に10分おきくらいに呼ばれていたんです。おむつで呼ばれることもあれば、痛みで呼ばれて脚のマッサージをしてあげたり。「寒い」と言われて湯たんぽを作り、またしばらくして「暑い」と言われて寝具を調整したり。そういうことがひっきりなしに続いていて。

うつみ お父さまは?

キクチ それが、父は起きなかったんですよ、すっかり爆睡しちゃって! 私も父を起こせばよかったんですけれど、父も年配だし、「私が頑張らなくちゃ」という気持ちがあって。そうしたら、母に「お父さんにもっと頼りなさい」って、もう振り絞るような声で言われて。それからは父のこともガンガン起こすようになりました(笑)。

うつみ お母さま、キクチさんが頑張りすぎていることをわかっていたのでしょうね。

キクチ どれだけ衰弱していても「やっぱりお母さんはお母さんなんだ。どんなときでも私のお母さんでいてくれるんだ」って、なんだか嬉しかったですね。

うつみ 親心、ですよね。キクチさんは会社勤めをしていますが、介護中はお仕事の調整が大変だったのでは?

キクチ 柔軟に対応してもらえて、すぐに引継ぎをして介護が始まってからは会社を休ませていただいたんです。私は眠れないことと同じくらい、自分だけの時間が持てないことがつらかったのですが、職場の人に「なにかできることはない?」と言ってもらったとき、介護から少し離れたくて「オンラインでミーティングをさせてください。普段の仕事の話をしてください」ってお願いしたんです。その時間が私の息抜きになって、気持ちがずいぶんと楽になりました。上司や同僚にもたくさん支えてもらって、ありがたかったですね。

「できることを詰め込もう!」と思ったことは、薄情なんかじゃない

うつみ 看取りを経験した読者の方に「本当は最後の家族写真を撮りたかったけれど、本人に先が長くないことを感じさせるようでできなかった。生きているうちに『ありがとう』も言えなくて後悔している」というコメントをいただいたことがあったんです。

介護が始まってからひと月ほどで父は亡くなってしまったんですが、「もう助からない」とわかったら、そこで覚悟を決めるというか、残された時間をどのように過ごすかを考えることって、すごく大切だったなと思うんです。

後悔しない死はないから、後悔は減らすことしかできない。だからこそ、やれることはなんでもやる。「KIKUCHI JOURNAL」も、きっとその一つだったのでしょうね。私は父に音楽のプレイリストを作ったんです。ささやかなことだけど、やってよかったなと思っています。(うつみ) ©キクチ/KADOKAWA

キクチ 母は退院してから日に日に状態が悪くなっていったんです。このスピードはまずいと直感して、父は母の見えないところで銀行口座などの契約関係をリストアップしたり、葬儀会社を探したりしていました。

私も「できることを詰め込もう!」と思い、親戚や友人に会わせる、プロのカメラマンに写真を撮ってもらう、結婚が決まっていた私のパートナーに会ってもらうといったことを一気に進めました。

親子のかたちや愛情があふれているなと思いました。抱きしめるって、私はできなかったんですよ、手を触るのが精いっぱいでした。(キクチ) ©うつみさえ/白泉社

でも、当時は心のどこかで「自分は薄情なことをしているんじゃないか」って思っていたんです。言ってしまえば死に向けて準備しているわけだし、母はどんな気持ちでいるのだろう、と。

もうすぐ間際という頃、お母さまが「お話ししよう」と言ったところ。そこでちゃんとお話ができて、良かったなあと思いました。(うつみ) ©キクチ/KADOKAWA

ただ、今となってはやってよかったなと思うんです。母がいなくなることはすごく悲しかったけれど、生きているうちに「ありがとう」を伝えることができたし、あのときに悔いなく行動できたから、母が亡くなってから自分の心を守ることができたんです。

手の写真を撮っているところ、素敵でした。うちの母はドライなタイプで、普段から手をつないだりすることがなかったんです。介護中、私がベッドの上に手を置いていたときに母がふっと手を握ってきたり、頭を撫でてくれたことがあって「お母さん、どうした!?」みたいな感じで、照れてしまって……。うつみさんは自然に触れていて、それがいいなあと思いました。(キクチ)©うつみさえ/白泉社

うつみ 薄情でも、不謹慎でもなくて、そのときにできることを精一杯したんですね。それって、お母さまへの愛ですよね。

切り出しにくい終活の話は、元気で笑っていられるうちに

うつみ お母さまを見送ってから、今度はお父さまが倒れてしまったそうですね。

キクチ 自宅で倒れて、一時はお医者さんに延命処置はどうするかを確認されるくらい容体が悪くなってしまって。今では元気になって、元通りの生活を送れるまでになりました。

うつみ それは本当に良かったですね。お父さまはご自身のパソコンに口座や散骨、葬儀のことなど、亡くなったあとのことをまとめたメモを残されていたそうですが、それはお母さまのことがあったからだったのでしょうか?

キクチ 母が余命宣告を受けた頃に自分のことも意識して書いたみたいです。父がもうダメかもしれないというときにそれを見つけたのですが、父も知識がないままに作っていたので、抜け漏れが多くて。私は一人っ子で、父の亡くなった後のことはひとりでやらなくちゃいけないんです。「もっといろいろな情報がほしい!」って思いました。

母のときは父が元気だったから2人で乗り越えられたけれど、いざ父がいなくなるかもしれないと思うと、自分が何も知らなかったことに気づいたんです。「家の名義や相続って、どうすれば?」「お墓はどこに?」って、いろんなことが頭の中を巡ってしまいました。もうすぐ父が死んでしまうかもしれないのに、現実的なことばかりに気を取られていたんです。

うつみ お父さまのことだけに集中したいですよね。

キクチ はい。事務的なことはすべてわかっている状態にしておけばよかったなと思いました。それで、父が元気になってから、次に何かあったときのために終活をしたんです。行政機関が出している終活リストを参考にしながら、父が浅い知識で準備していた部分を2人で一つずつ埋めていって。銀行で代理人制度の手続きをしたり、遺言書も作りました。

うつみ しっかりと準備されていて、見習いたいです。終活の話を出すと「勝手に死ぬって決めつけて!」なんて受け取られて、避ける人も多いと思うんです。

キクチ 体調をくずしてからじゃなくて、逆にめっちゃ元気なうちに話しておいたほうがいいんじゃないかなって思いました。

うつみ たしかに。冗談まじりで言い合えるうちに済ませちゃうとか。

キクチ 実際に父と終活をやってみて、60歳くらいで一度やったら、その後は数年ごとに情報を更新すると決めておくといいのかな、と。家族のルールとして制度化してしまえば、感情的にならずに話しやすいだろうし。

うつみ 私がおすすめしたいのは「年長者に聞きにくいことがあるときは、まずは先に自分の話をする」ということ。「私が死にかけたら延命措置はしないでほしいなあ」「銀行口座なんかのパスワードはここにあるから、あとはよろしく」なんて言うんです。「ええっ! あんた、まだ若いんだから先に死なんといてよ。逝くのは私のほうが先やわ~」というところから本人の話にもっていく。実はこれで、母や義父から「延命はしたくない」という話を聞くことができたんです。

キクチ それ、いいですね!

死を意識して、自分はいかに生きていきたいかを考えるように

キクチ うつみさんは、お父さまが亡くなられてから死への考え方は変わりましたか?

うつみ 死はわからないものだと思っていたんですが、父が生き切って、最期を迎えるところを目の当たりにして、死そのものは怖いものではないのかもしれないと思うようになりました。もちろん、痛みや苦しみを伴うこともあるでしょうから、怖さがまったくなくなったわけではないんですが、それでも必要以上に怖がらなくてもいいのかもしれないって。

うつみさんのマンガにもありましたが、母が亡くなってから「これでよかったのかな、幸せだったのかな」って、今でも考えてしまいます。後悔ではないけれど、もっとこんな可能性もあったんじゃないかとか。(キクチ) ©うつみさえ/白泉社

キクチ 私も同じですね。それから、自分もいつ死ぬかわからないということを強く実感できて「生きているうちにやりたいことはなんでもやろう!」という意識が持てるようになったんです。それまではやりたいことを我慢したり、自己犠牲的なところがあったんですが、そこが切り替わったような感じがしていて。

うつみ その気持ち、よくわかります。

キクチ 会いたい人には会っておかなきゃいけないって思うようになったし、不思議なんですが、これまでならわざわざ会わなくてもいいと思っていた人にも会うようになったんですよ。たとえば「何年も会っていないし、行かなくてもいいか」と思っていたような集まりの場も「やっぱり行っておこう。楽しいことがあるかもしれないし!」って。人との縁や出会いを大切にするようになったのは、自分にとって大きな変化でした。

母を看取って死を意識したからこそ、じゃあ、私は今をどんなふうに生きたいのかって、前より考えるようになったんだと思います。

私も同じだったんです、葬儀を終えて火葬場に行くときに車の窓を開けて「ありがとうございました!」みたいな感じで。みんなはぽかんとしていたと思うんですが……。父が亡くなったことは本当に悲しかったけれど、私たちは「看取りをやりきった」という思いもありました。(うつみ) ©キクチ/KADOKAWA

編集協力/菅原淳子

キクチ
きくち/会社員としてフルタイムで働きながら、2016年頃から自身の片耳難聴や子宮内膜症をテーマにしたマンガをSNSに投稿。2022年からは「親の介護はじめました」の投稿を開始し、のちに『20代、親を看取る。』(KADOKAWA)として書籍化。父の介護を描いた『父が全裸で倒れてた。』(KADOKAWA)も多くの読者の共感を呼んだ。 
Instagram:@kkc_ayn

『20代、親を看取る。』
キクチ/作 
KADOKAWA
1430円

「もう会えないけれど、今も一緒に生きているような気がするんです」枇杷かな子さん×うつみさえさん対談【わたしたちの「看取り」・1】の画像14コドモエCOMICS
『父の逝きざま 末期ガンの父を自宅で看取るまで』 
うつみさえ/作 
白泉社 
1430円

うつみさえ
1982年兵庫県生まれ。「第1回 kodomoe マママンガ賞」期待賞を受賞し、漫画家に。連載作品に「大きくなってく娘と私」、「マンガでわかる! おっかなびっくり飼育」、「40代ママのキレイをアップデート」、「令和JKをわかりたい!」。著作に『メイクもファッションも迷子になってない?40代からのキレイのつくりかた(コドモエCOMICS)。
Instagram: @th.e.96135
X:@sae96135

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