2020年10月5日

平野レミさん・和田明日香さんロングインタビュー。両親とも「すきにしなさい」絶対「ダメ」って言わなかった【前編】

高校をやめた日
ありがたかった父の言葉

――レミさんにとって、名門校の競争や校則はさぞ不自由なものだったと思います。

レミ ええ。1年は一生懸命勉強したものの、2年になるともう嫌んなっちゃって、途中から宿題やらないで学校通ってたの。それで、英語の時間に先生に指されて、「平野くん、立って読んで訳しなさい」。「うわっ、きちゃった」と思いながら、「はい」と立って、机の下でアンチョコ(カンニングペーパー)見ながら本当にさも訳してるようにゆっくりゆっくり読んだのよね。
そしたらみんながクスクス笑い出し、先生も「君、訳してるところ、1ページ違うよ」って。もう学校イヤって思って、その授業が終わるか終わらないうちに「先生さようなら、みなさんさようなら」と言って、それっきり学校行きませんでした。

――それっきり?

レミ そう、それっきり。でも、すぐに父に言い出せなくて……。何日かは、母が作ってくれたお弁当持って家を出て、上野公園でお弁当食べて、山手線の外回りに乗り、飽きると内回り回ってたのね。ぐるぐるぐるぐる回って、夕方になって、もうそろそろ帰ろうと思って「ただいま」って帰ってた。

――切ない話です。さぞ心細かっただったでしょう。

レミ 誰にも言えないし。それで、「お父さんにちゃんと言わなくちゃいけない」と思って、「お父さんがこう言ったらああ言おう」とマニュアルを作ってから、生まれてはじめて父の前に正座した。父は原稿を書いてたのね。私が「お父さん。タータン、学校やめたくなっちゃった」って言ったら、いきなり老眼鏡パッとはずして、私の方を見て「やめろ。やめろ。レミにはもっといい学校あるからそこ行け」って。もうな〜んにも言わなかった。

――親の言葉としては最高!

レミ もう最高! 私、今でもそのときのことを思い出すと胸が詰まっちゃう。本当にね、本当にあれはありがたかったと思う。それで、「じゃ、レミ、好きなこと徹底的にやれ」と言ってくれたのよね。

平野レミさん・和田明日香さんロングインタビュー。両親とも「すきにしなさい」絶対「ダメ」って言わなかった【前編】の画像2

レミさんは、ユニークな人材を輩出していた文化学院へ転入。子どものころから馴染んだシャンソンを歌うようになる。

――シャンソンは、当時、ブームでした。

レミ うちにフランス人がいっぱい来て、父がもらったレコードがいっぱいあって、シャンソンがいつも流れていました。演歌ばっかりだった時代に、メロディラインの綺麗な『枯葉』とか聴いてて、いいなあと思ってたのね。

――威馬雄さんのお友達だった一級の知識人が集まる家だったのですね。羨ましい環境です。

レミ 詩人のサトウハチローさんとかね。だからうちの方が学校にいるより、面白かったのね。だっていろんな人が来て、文化的な話から音楽の話、文学の話、エロ話までをしてるでしょ。
それでシャンソンも好きになって、父の知り合いの声楽家の佐藤美子さんに、発声練習から全部習ったの。最初、先生に言われたことは、「絶対プロになっちゃいけませんよ。お金はとても汚らわしいものだから」って。でも、先生、私から月謝をとってたのよね(笑)。

明日香 言動不一致だ(笑)。

レミ 先生のところで何年間も習ってたんだけど、バンドで歌ってみたいなと思って、「日航ミュージックサロン」のオーディション受けたら入っちゃったのね。それで汚らわしいお金貰っちゃった、へへへ。

――丸山(美輪)明宏さんがいて人気だったシャンソニエ「銀巴里」でも、歌っておられた。

レミ 綺麗でしたよ。私、前座もやりましたね。あの頃から、私が曲の紹介して歌おうとすると、みんな笑うのよね。真面目に失恋の歌を歌おうとしてるのに、失礼だな失礼だなって。きっと喋り方が変わってたのかなって、これには困りましたね。

――日本コロムビアからレコードデビューもして。

レミ 4枚レコードを出してます。シャンソンを出してくれる約束だったのに、結局全部、流行歌ね。流行しない流行歌手だったの。最後は「カモネギ音頭」なんて歌で。だからやめちゃったのね。楽しい芸能人生活だったなぁ。

明日香 まだ終わってないです(笑)。今、真っ最中ですよ。

恋はいっぱいすべし
料理は五感で楽しめる

TBSの新しく始まったラジオ番組の1コーナーからレポーターにと声がかかったのは、それから間もなく。局アナだった久米宏さんと組んで、関東周辺のスーパーから生中継するというもの。
その番組を愛聴していたのが、イラストレーターの和田誠さんだった。

――和田さんがレミさんを見初めたとか。

レミ 和田さんが仕事しながら、麻雀仲間の久米さんのラジオを聴いていたら、平野レミというのがとってもいい感じで、ああいう人と結婚したいなって思ったっていうの。浮ついてないのね、和田さんって。真面目で、真面目で。
会った日から幽霊話をいっぱいしてもらって毎日毎日会うようになったとき、和田さんが、フランクシナトラが復帰するというのでラスベガスにショーを見に行っちゃったのね。
そのとき私、フッと、「あ、さみしいな」と思っちゃったの。和田さんは一泊してすぐに帰ってきて、「結婚しちゃおうか」って。それで、「しちゃおうしちゃおう」って、私も急いで言っちゃったの。和田さんがうちに私を貰いに来たのが、(1972年)12月の押し迫った30日でした。

明日香 その日が結婚記念日だと、聞いてます。

レミ その頃、和田さんは『週刊サンケイ』に似顔絵描いてたのね。父は、和田さんが結婚のこと何も言わないうちに色紙を2枚持ってきて、「女房と俺の似顔絵描いてくれ」って。和田さん、しょうがないから初対面の人の顔を描いてました(笑)。

――アッハハハ。レミさんは、和田さんのどこがよかったんですか。

レミ 私もいっぱい恋みたいなものしたけど、「あっ、この人だな」とわかったのよね。
和田さんはいいって。「この人は地面に足がべたって着いて、絶対動じない人だ」と思ったの。だから、男の人とはいっぱいつきあった方がいいわね。孫たちもそうよ。

明日香 いっぱい比べられますもんね。長女はまだ5歳(当時)だけど(笑)、間違わないように早いうちから言っておきます。

レミ そうそう。比べなさいって。(後編へつづく)

 

INFORMATION

平野レミさん・和田明日香さんロングインタビュー。両親とも「すきにしなさい」絶対「ダメ」って言わなかった【前編】の画像3『新版 平野レミの作って幸せ・食べて幸せ』
料理/平野レミ 絵とデザイン/和田誠 主婦の友社 本体1480円+税
「和田さんが美味しい、美味しいって食べてくれた思い出の料理ばかりです」和田さんの好物だった料理を多数紹介したレシピ本が21年ぶりに復刊! 当時と今のエッセイもたっぷり読める笑顔届けるレシピ本。

インタビュー/島﨑今日子 撮影/志田三穂子(kodomoe2015年10月号掲載)※本誌の内容から一部変更になっている箇所があります

 

後編では、レミさん自身の子育てについて、そして明日香さんの子育てや料理に対する思いを語っていただきます!

 

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