奥山佳恵さんロングインタビュー。子育ての大変に健常者も障がい者もなかった。【後編】
2015年3月、書店に一冊の本が並びました。『生きてるだけで100点満点!』。女優であり、タレントの奥山佳恵さんがつづったこの育児エッセイには、子育てをめぐる葛藤、ダウン症という障がいを持って生まれてきた次男との暮らしが正直に書かれています。どんな子どもだって、子育ては大変、そして楽しいものだと、奥山さんは言います。
前編で、「育児書に忠実に一生懸命やっていたけれど、一生懸命やることが子育てで幸せだとは限らない」と語った奥山さん。後編では、美良生くんがダウン症だと分かってからのことについて話してくれました。
※kodomoe2015年4月号に掲載のロングインタビューを全文公開。記事の中の年齢・学年などは取材当時2015年のものです
おくやまよしえ/女優、タレント。1974年東京都生まれ。1992年に女優としてデビューし、以来ドラマや映画、バラエティ番組などでも活躍。明るく親しみやすい人柄で、男女問わず愛される。2001年にヘア&メイクアアップアーティストの稲葉功次郎さんと結婚。現在ふたりの男の子のママ。kodomoe webでは、奥山さんが全国津々浦々のラーメン屋さんを紹介する「ラーメン天国」を好評連載中。過去の連載「たのしむ子育て(全150回)」では、お子さんと一緒に料理を楽しむようすも。
ダウン症って何?
分からないことが不安に
――ショックは大きかった。
正直、ダウン症ってよく分からなかったので、とても恐ろしいもののような感じがしました。分からないということは人をすごく不安にさせるんですよね。帰りの車の中で、泣きながら「ダウン症のことはよく分からないけれど、今抱いているこの子がかわいいことだけは分かる。もうそれしか分からない」と主人に言うと、彼は運転しながら「それだけでいいんじゃない?」って言ってくれたんです。だからそれだけでした。
――そこが、子育てのバックボーンですからね。しかし、そのあとも辛いことはあった。
……そうですねぇ、いろいろありますね。人に伝えるときに、相手のたじろぎが跳ね返ってくると私の傷になるんです。ただ、それを言うたびに、だんだん傷にかさぶたができてきて、心の皮膚も筋肉も強くなって、少しずつ平気になりました。ですけど、私は母に伝えるのがいちばん辛くて。
――それはどうしてなんでしょう。
母にたじろがれたら立ち直れないと思ったんですね。私がもっと早くに産んでたらと自分を責めていましたから。「メイドイン私」なので、私が製作したものっていうところの責任感ですかね。製作者として申し訳ありませんでした、という思いはあったんです。で、家族の中でいちばん最初に立ち直ったのはたぶん長男なんです。
――分かった時点で、空良くんにはすぐ告げられたんですね。
生まれたときからすごくかわいがってくれてたんで、小学4年でしたけど、同じ子育てをするチームのメンバーなので告げました。明るい陽気な子なので「あ、そうなんだ」ぐらいに受け止めるかなって思ってたら、「おしゃべりできないじゃないか」とひざからくずれ落ちて泣いたんです。彼は保育園のときからダウン症の友達がいて、その子がたまたまおしゃべりをするのが苦手な子だったみたいです。私はダウン症の子のお兄ちゃんにしてしまって申し訳ない気持ちでいっぱいでした。ところが翌日、もう一緒に遊んでるんです、「かわいいかわいい」って言いながら。「僕は美良生と遊ぶ、たとえそれがどんな美良生でもそれは変わらないよ」と、言ってくれて。
――聡明なお子さんです。
子どもの方が本質を捉えるのが早いですね。私は泣いたり泣かなかったり、気持ちはずっと嵐の中にいて転覆しそうなんだけれども、早々に長男はもっと沖の方に行ってしまうんです。長男の明るさに救われた部分はかなりあります。
――お母様にお伝えになったのは。
最後の最後です。主人から「周りはもう全員知っている。お母さんにも、早く伝えて欲しい」と言われるんですけど、なかなか言えなくて。その年の12月になってようやく、美良生が大きな心臓の手術をする前に電話で伝えました。どんなリアクションがくるかと口の中をカラカラにして「ダウン症なんだ」と努めて明るく言うと、「あ、そうなのそうなの。で、晩ごはん何食べるの?」って、軽く流されちゃったんです。「え、分かってる? 遺伝子の異常で障がいがあるんだよ」と念を押すと、「うん。ま、大丈夫じゃない? みんなで育てていきましょうよ」って言われたんです。母の明るさに、驚いたのと安心感と嬉しいので、大泣きです。生まれた日に初めて顔を見たときから、母には分かっていたんですね。全てを飛び越えて私を気遣ってくれた母の愛の大きさを知って、それを最後の涙にしました。