保育者・柴田愛子さんロングインタビュー。子どもは「未熟」ではなく実はすごい力を持っているんです
「こんな保育ができるのか!」と保護者や保育者から注目を集める「りんごの木子どもクラブ」。kodomoe2021年12月号では、創設者の柴田愛子さんに、「りんごの木」の誕生秘話、そしてコロナ禍の保育に思うことなど盛りだくさんのお話を伺いました。
kodomoe webでは、その中からご自身の幼少期についてなどインタビューの一部をご紹介します。
しばたあいこ/1948年東京都生まれ。保育者。1982年、元保育者の仲間3人で子どもに関わるトータルな仕事の場「りんごの木」を創設。「りんごの木子どもクラブ」で幼児保育を行う他、造形、音楽などの教室を開設。保育誌、育児誌への寄稿、講演などでも活躍。『こどものみかた 春夏秋冬』(福音館書店)『とことんあそんで でっかく育て』(世界文化社)、絵本『けんかのきもち』(伊藤秀男/絵 ポプラ社)など著書多数。
家族に愛されている確信は
すごい安心感ですよね
神奈川県横浜市にある「りんごの木子どもクラブ」では、1982年の創設以来「子どもの心により添う」姿勢を基本に、ひとりひとりの子どもを主役にした、型にはまらない保育を行っている。
代表を務めるのは、NHK Eテレ「すくすく子育て」や多くの育児本で知られる柴田愛子さん。そののびやかなアドバイスは全国の悩み多き保護者を救っている。
「りんごの木」は、40年前に「子どもを主役にして保育をしたらどういうことになるのか」と思って始めたんですけどね。そのときは一般的な園からは見向きもされなかったというか、「こんなに子どもたちにやりたい放題やらせて、どうすんの!?」みたいな反応だったのね。でも時代が変わってきたのか、古い保育観だけでは嫌になっている人たちに、刺激になる存在になっているみたい。
文部科学省が今の学習指導要領で「主体的・対話的で深い学び」って、もう耳にタコができるぐらい言ってるけど、うちはとうに主体的にやってるよって(笑)。今も少数派だけど、少数派の意見も少しは尊重されるようになってきたかなって思うのね。こんなに続くとも思ってなかったんだけど。
――愛子先生ご自身は、どんなご家族の中で育ったんですか。
私、5人きょうだいの末っ子なのね。3歳ずつ差で、一番上の兄とは12歳違い。うちの母はかつて幼稚園の先生をしていたんですけど、子どもを誰も幼稚園に入れなかったの(笑)。広い家じゃないけど、庭に砂場と池があって、それから、両親が食べられる実のなる木だけを植えてたの。梅、桃、梨、柿、ぶどうにびわ。足下にはらっきょうとかいちごとか。表札には、一番上の兄がクレヨンか何かで「よいこのいえ」って書いていて。
母が忙しそうに洗濯や料理をしている、その気配を感じながら、縁側に干された布団の上でゴロゴロしてるっていうのが、私の原風景。お日様の乾いた匂いとぽかぽかした空気と、何の心配もない満足感。そのうち近所の子が帰ってくると、今でいう学童保育みたいに、みんなうちに集まってきて。缶蹴りしたり、ベーゴマしたり。
私は家ではおしゃべりだったけど、小学校に入学したら、黙って座ってることしかできなかったの。先生たちに「ああやれ、こうやれ」って言われれば言われるほど嫌なのよ。もうどうしていいかわかんないし、言われてること自体がよくわかんない。毎日行くけど、まわりを観察しながら座ってるだけ。6年間で、自分から手を挙げたことは3回くらいしかなかったと思う。さらに食が細かったから、もう給食の時間が地獄でね(笑)。
通知表は低空飛行で、でも親はね、それを見ても「あらあら」でおしまいだった。人との比較よりも、「私が私であること」が何よりも大事にされていた気がするの。決してベタベタしていなくても、愛されている確信はいつも持ってました。「あ、見てくれている」「そのままでいいんだ」っていう実感は、やっぱりすごいうれしい安心感だと思う。家庭にも地域にも恵まれて、何の不自由もなかったからなおのこと、小学校が面白くなかったのかもしれないね。
いつも遅刻と忘れものばかりで、ある日母が学校から呼び出されて。「お母さん、先生、なんだって?」って聞いたら、母は「大したことじゃないから、気にしなくていい」って言ったの。もう、すごいでしょ、守られてて。父は「勉強すれば上の方に行く、勉強しなかったら下の方へ行く、ただそれだけのことだ」って。だからね、学校でいい成績を取れとか、よい子に育ちなさいとか、礼儀作法やしつけも一切ない家だったのよ。
で、世の中に出たときにびっくりしたの。「お父さん、よその家ではお父さんからごはんをよそうって知ってる?」って(笑)。36歳で初めて研究会の講師で呼ばれたときに、宿の部屋で、先輩に勧められるままお茶もお風呂も先にいただいたら、「不良講師」って呼ばれて。家に帰って母に「あのね、世の中では、若い人がお茶をいれないといけないらしいんだよ。お風呂は『どうぞ』って言われても先に入っちゃいけないんだよ」って言ったら「あら、そう~」って。家中みんなで「あら、そう~」(笑)。
しきたりが全然ない家だったんですよ。父は、早くに父母を亡くしていて。母方の父はトンネルの設計士で年中転勤があるのを、母は小学1年生で「私は行かない」って言って、数年間親戚の家にいたんだって(笑)。そういう家のしがらみがない者同士が二十歳で結婚したから、家風も何もあったものじゃない。父は勉強が好きで、次々と大学に入って。その頃はもう結婚してたのに「勉強が好きだったから」って。父も母も思うように生きてきたから、子どもに対してもあまり心配しなかったというか、自分でやっていくと思ったんじゃない?
両親とも関東大震災と戦争と、大変な時代を体験してるから、腹の括り方が違ったのかも。戦時中は疎開先がなくて、静岡で牛小屋に間借りしてたとかね。他人に頼ってもきたし、だから他人に頼られることも引き受けてきたんですよね。ある日突然、パチンコ屋が潰れたというおじさんが大量のパチンコ台と一緒に家にいたりね。昔の話のようだけど、私は今だって同じだと思うのよ。人間ひとりじゃ生きていけない動物なんだから、迷惑をかけて助け合うからこそ、群れをなしているわけで。
本当にやりたいのは
子どものことだ
――学校を卒業してから最初に就いたお仕事が、幼稚園の先生だったんですか?
ゴマ粒のようでもいいから社会の中で存在したいと、短大で栄養士と中学の家庭科の先生の免許を取ったの。でも、「やっぱり本当にやりたいのは、子どものことだ」って思って。
私が高校2年のときに、姉が結婚して同居して、赤ちゃんが生まれたの。もう、かわいくてかわいくて、見ていてすっごい面白い。「すごいなあ、おなかすくとちゃんと泣いて呼ぶし、おっぱい吸えるし」って、毎日目が離せなくなっちゃったのよね。「子どもはちゃんと、生きていく力を持って生まれてくるんだなあ」と思って、「生まれた以上、『生まれてきてよかった』という人生をたどってほしい、その手伝いになる仕事をしたい」と考えたわけ。これ、多分言い換えると、私自身が「生まれてきてよかった」という人生をたどりたいってことなんだと、のちに気がついたんだけど。
で、やっぱり幼稚園の先生になろうと、夜間の学校に通って免許を取って。その姪が通う幼稚園に就職したの。でも、幼稚園ではいちいち歌を歌ったり、プログラムやワークブックがあったり、あと、やたらに並ぶのよねえ。トイレに行くときまで並ぶのよ、なんかなあって。あと、先生たちの言葉にやたらと「お」が多いのよ。「お椅子」「お片付け」「お絵描き」。「お」をつけると子どもにわかりやすいのかなあ、どうなの?(笑)
壁面の飾りも「季節を感じるため」っていうけど、「季節感ってさぁ、外で感じりゃいいんじゃないの?」って思って。子どもたちが「生まれてきてよかった」と感じながら成長していくために、こういうのがどうつながっているのか、全然わかんないのよ。「私、勉強が足りなかったんだ」って思って、先生をしながらまた幼児教育科がある夜間の大学に潜り込んだの。そこの教授が、いろんな研究会に連れ歩いてくれたんだけど、今度は勉強しすぎちゃって、何が何だかわかんなくなって。
絵ひとつでも、「自由にのびのびと」っていうところもあれば、絵を持ち寄って心理分析するところもある。歌も「音痴でもアニメの歌でも何でもいい」っていうところもあれば、「絶対音感は幼児まで」っていうところもある。そんな風に何が正しいかわからない私が、保育室で子どもたちの前に立つことが、もう苦しくなったのね。園の先生からは「みんな苦しい思いを乗り越えてこそ本物になる」なんて言われたけど、私、苦しいときは逃げたいのよねえ。苦しいところにいるの、嫌じゃない? だから、「あ、私は辞めます、もう疲れました」って言ってね。
それからは水道局や航空会社で仕事したり、あと、遊びが中心の幼稚園で再度5年働いて。相変わらず研究会にも行ってたんですよ。そのうちのひとつが「子どもとつくる生活文化研究会」っていって、おもちゃデザイナーや造形作家や作詞家、いろんな人がいて居心地がよかったのね。そのメンバーだった中川ひろたかさん、市川雅美さん、私の3人で、子どもに関わるトータルな仕事をする場として「りんごの木」を立ち上げたの。3人とも自由でやる気満々なんだけど、お金はない。そこにちょうど歯医者さんの一室を貸してあげるという話があって。私は保育がしたいから「2、3歳の保育をします」っていうチラシを千枚まいたら、子どもがふたり来たの。そこからスタートして。
3人で子ども文庫や折り紙の会、ミニコンサート、いろんなことをして、中川さんの遊び歌のデモテープを作って売りに行ったりも。3年経ったらその歯医者さんが潰れちゃったんだけど、ちょうど一軒家を貸してくれる人が現れて。子どもも多くなったし、誰か保育を手伝ってくれる人いないかな、ってところに来たのが新沢としひこさん。その頃に「世界中の子どもたちが」とか「はじめの一歩」とか(ともに作詞/新沢としひこ 作曲/中川ひろたか)の名曲たちが生まれたのよ。そのうちにケロポンズのケロちゃん(増田裕子)がやってきて、しばらくしてポンちゃん(平田明子)も来たわけよ。
で、さらに子どもたちが増えて、「いやあ、もう一軒作るのもなあ、大変だなあ」と、でも「子どもには、家がなくても土地があればいいんだ」と思いついたら、そこにまた「土地を貸してあげましょう」っていう人が現れて。今は教室と空き地と、4か所が拠点になってます。だからね、私はお金がなくても、人脈を持っていると思ってるの。人の宝をいただいてるなあって。ありがたいことですよね。
(kodomoe2021年12月号へつづく)
INFORMATION
『マンガでわかる 今日からしつけをやめてみた』
柴田愛子/監修 あらいぴろよ/漫画
主婦の友社 1320円
長年の保育現場での経験をもとに、保護者を悩ます「しつけあるある」に新しい解決策を提案。日常生活での様々な場面ごとにマンガでわかりやすく解説します。
『子育てを楽しむ本』
柴田愛子/著 りんごの木 1709円
柴田愛子さんが初めて書いた子育て本では、子どもの気持ちに寄り添うヒントをあたたかい言葉で紹介。子育てに奮闘するすべての親へ贈る一冊です。
インタビュー/原陽子 撮影/馬場わかな