6月のテーマは「水辺の生きもの絵本」【広松由希子の今月の絵本・84】
絵本作家で評論家の広松由希子さんの連載。毎月、テーマに沿った、おすすめ絵本をセレクトしていただきます!
6月のテーマは「水辺の生きもの絵本」
6月の湿った空気、わたしは意外ときらいではありません。湿っぽい気分に浸りながら、本棚を見渡していると、湿っぽい絵本が目につきます。今月はカエルの絵本がいいかなあ……と5冊ばかり抜き出したところで、はたと不安になり、バックナンバーを見返してみたら……ああ、やっぱり。2012年6月の連載その8に取り上げていたんでした。選んだタイトルは全部ちがうものだったけれど、せっかくなら新しいテーマにしたいな。
すごすごと絵本を本棚に戻しながら、また、はたとひらめきました。湿っぽい気分をそのまま生かし、「水辺の生きもの」にしようっと。
今月はイキのいいヤツも入ったことだしね。さあ、ウキウキジメジメいきますよー。
まずは……ナマコ、好きですか? 「好き!」と即座に答えた人は、かなりの物好きか珍味好きかと。でも、この絵本を読んだら、ナマコへの興味がわくことまちがいなし。へたすると、ナマコ愛にうかされるかも? なんたって『ナマコ天国』ですからね。おそらく世界初のナマコ絵本。最高にパワフルで魅力的な科学絵本です。
沖縄の海辺にごろごろ転がっている、黒いかたまり。ええ、ナマコです。やさしくつつくと、ふにゃっと凹む。ぎゅっとつかむと、硬くなる。ゴシゴシこすると……えっ、溶けちゃった!?溶けても平気、数週間で元通り。まっぷたつに切られても、いつのまにか2匹になっちゃう。知らなかった、こんな生きものがいるなんて。
ナマコってヘン。知れば知るほど、もっとヘン。目もなく鼻もなく耳もなく、心臓もなければ、脳もないんですって! どうして生きていられるの?
ナマコはほとんど動きません。だから運動するための心臓はいらないんです。目も鼻も耳もないから、脳が指令を出す必要もないんですね。なるほど、それで脳死も、心肺停止の心配もないってわけか……でも、逃げも隠れも戦いもしないナマコは、すぐに敵に食べられて絶滅しちゃうんじゃないの? それも、だいじょうぶ。ナマコにはいろんな「超能力」があるからね。
あくせく働いて、大量のエネルギーを消費して、逃げて、追いかけて、戦争だってしかねない人類と真逆の生き方。ナマコってすごいんじゃない? 尊敬の念がむくむくわいてきて、人間についても考えさせられます。一見「ヘン」と思える、未知の生き方って、学ぶところが大きい。役に立つ知識を教え込むのではなくて、ふしぎに対する驚きや、考え方の気づきを与える絵本……これぞ科本絵本の真髄ですね。
ベストセラー『ゾウの時間 ネズミの時間』で知られ、「歌う生物学者」の異名ももつ作者の本川達雄さん。実はナマコを40年以上も研究してきた専門家なのです。エンタテイナーぶりを発揮して、謎だらけのナマコについて、わかりやすくゆかいに教えてくれます。大人にもうれしい、ナマコ酢のレシピやナマコ文学のウンチクも、盛りだくさん。巻末にはお得意の作詞作曲で、ナマコの歌の楽譜つき(しかも2曲)!
そして、ナマコに魅せられて幾星霜、ナマコの生き方を理想とする、こしだミカさんの「ナマコ愛」に満ち満ちた渾身の画面を見てください。こしださんの絵とナマコって、切っても切れない相性のよさ。もしかしたら、切り離される前は、一体のナマコだったのかな……なんて想像したくなるくらい。
『ナマコ天国』
本川達雄/作 こしだミカ/絵 偕成社
本体1600円+税 2019
平和なナマコの次は、最強に獰猛な水辺の生きもの……といえば? そう、ワニ。でも、このワニは、獰猛なルックスをちゃんと残しながら、人間くさく、あどけない人気者。舞台は水辺といっても、和式のお風呂場ですしね。みんな大好き、わたしも大好き、『わにわにのおふろ』です。
この絵本のすてきなところ・その1は、この湿った舞台設定。ワニとお風呂のマッチング、すごくいいじゃありませんか。発想のきっかけは、1993年にあった石神井公園のワニ騒動だったらしいです。三宝池で巨大ワニが目撃され、連日マスコミを騒がせたけれど、結局発見されなかった……という事件があったの、覚えていますか。みんなが忘れても、小風さちさんは忘れませんでした。実際に探しにも行ったし、ワニ熱がなかなか冷めなくて、うちのお風呂場にもいるのでは……と妄想をふくらませたらしいです。さすが。
すてきなところ・その2は、ギャップ。山口マオさんの版画による、ゴツゴツしたいかついワニのリアルな外見、ワニらしい不自由さをもった動き、それはすばらしいのです。洋服を着せられ、キャラクター化されたワニでなく、普通のワニ。熱川バナナワニ園で本物のワニをしっかり観察してから制作にとりかかったそうです。それが、お風呂でおもちゃ遊びをしたり、あぶくを飛ばしたり、シャワーをマイクに見立ててロックシンガーになったりするギャップに萌えるんですよねー。
すてきなところ・その3は、みごとな擬音と擬態語です。ステレオタイプでなく、奇をてらうでもなく、ぴたっと状況や個性を伝えるオノマトペに、ほれぼれします。蛇口をひねる音は、キュッじゃなくて「きゅるり きゅるり きゅるり」。プラスチックのおもちゃたちが水面に浮かぶ音は、「ぽくん ぽくん ぷくん」。風呂上がり、わにわにがタオルで体を拭く音は……ああ、もったいなくて書けません。ほんと、これしかないという、はまり方。どれだけ推敲されたのでしょう。想像するだけで、頭が下がります。
お話は、ワニがお風呂に入って上がるという、言ってしまえばそれだけですが、すてきなところは、まだまだあります。1歳から大人まではまってしまう、稀有な絵本なのです。
『わにわにのおふろ』
小風さち/文 山口マオ/絵 福音館書店
本体900円+税 2004
じっとり熱く2冊を語ったところで、『ウミガメものがたり』のブルーの表紙を眺めて、ちょっと涼みましょう。陸ではのろまといわれるカメですが、海の中ではこんなにものびやかに優雅に泳ぐのかしら。精密に描かれた科学絵本だけれど、表紙のつぶらな瞳には、鈴木まもるさんの個性が現れていると思います。わにわにの黄色い眼を見た後だと(好きだけど)、いっそうやさしく感じるでしょう。ブルーといっても、紫からピンクのまじった彩色にも、「ものがたり」というタイトルにも、やわらかな情緒が感じられます。
誰もいない、夏の砂浜から物語は始まります。暗い海から姿を現したのは、ウミガメのお母さん。1メートルの甲羅、体重100キロという巨漢。砂浜に卵を産みにくるのです。後ろ足で穴を掘ると、ポトッ、ポトッ……ポトトトト。100個ほどの全部の卵を産み終わると、砂をかけて、お母さんは海へ帰っていきます。それから60日ほどで、体長5センチほどの子ガメたちが出てきます。パタパタとひれを動かして、いっせいに海を目指します。
ウミガメの産卵から、子ガメの誕生、そしてゆっくりとした成長。生死をかけた瞬間、瞬間が1コマずつ、コマ割りで描かれていきます。画面に添えて短いコメントがあり、マンガというよりは、ノンフィクションのグラフィックノベルという感じ。
コマ割りで描かれる絵本って、視線を導く構図の取り方や、時間の描き方など、一般の絵本や、マンガともまた別のテクニックがいるんですよね。違和感があるものも多いのですが、この絵本は、引き込まれます。各見開きの構成を意識しながら、シーンにあわせてコマ割りの形もリズムも変えられていて、すごい臨場感。母ガメの産卵のシーンでは、神聖な時間に立ち会い、息を潜めて見入る気持ちになるし、子ガメが鳥にねらわれる波打ち際のシーンでは、作者に視線を重ね、「がんばれ がんばれ もうすこし」と、手に汗握ります。
海に入った後も、さまざまな敵から逃れ、海流に乗り、太平洋を渡り、年毎に少しずつ大きくなったカメが、また長い長い旅をして、今度は産卵をしに日本へ帰ってくる……なんて壮大な生命の物語でしょう。読み終わると、ふうううううと、ため息が出ました。しっかり2時間のドキュメント映画を見た後のような心地。えっ、この絵本32ページだったの? と、本当にびっくりします。
『ウミガメものがたり』
鈴木まもる/作・絵 童心社
本体1500円+税 2016
さて、最後に1冊、先週家にやってきたカエルに登場してもらいましょう。『ヒキガエルがいく』は、韓国で生まれた異色のカエル絵本です。どアップの顔の迫力に負けない勢いの題字は、絵本作家・伊藤秀男さんの描き文字ですよ。
黄色い見返しをくぐると、遠く静かな山奥に連れていかれます。白い空。そよぐ風。小雨に煙っているのでしょうか。無言の景色のイントロが2場面あって、やっと扉にたどり着きます。めくると、「トン」。ヒキガエルが1匹現れます。また、めくると、「ト トン」と近づいてきて、「トトトン」「トトトン」。どこからともなく、カエルがふえてきて、「ドンドン ダンダン ドンドン ダンダン」。群れになって、「ドドン ドドン ダンダンダン」と、暗い森を進んでいきます。
そう、この絵本のテキストは、太鼓の音だけ。刻まれるリズムにあわせて、ページをめくって、ヒキガエルたちの冒険に同行してください。のっそり起き出したカエルが、山を下り、仲間といっしょに前へ前へと進みます。いばらの道も突っ切って、溝に落ちてもはい上がり、行く手をさえぎる金網をよじのぼり……愚直にただただ進むのです。カエルたちが目指すのは、池。この日、ヒキガエルたちは、父と母になるのです。
説明的な文は一切ありませんが、絵が語ります。ヒキガエルのふしぎな生態と力強い生命力を感じる、科学絵本的な要素と豊かな詩情がひとつになった絵本です。リアルなカエルの描写と、すっきりデザインされた画面、めくるたびにはっとさせられるページ構成に魅せられます。巻末の作家が書いた詩を読んで、もう一度かみしめて、何度も味わい直せます。
2014年、多くの高校生が巻き込まれた、セウォル号の惨事に突き動かされ、作者はこの絵本を描いたといいます。「たいへんなことがあっても、また起きあがり、てくてく歩きだせますように」と、メッセージが書き添えられていました。
2年前に出会って心つかまれ、日本在住の韓国の絵本研究者・申明浩さんと協力して、共訳した絵本です。韓国語と日本語の擬音語のニュアンスのちがいなど、いろいろ勉強させてもらいながら、たいへんしんどくも面白い作業でした。テキストが短いぶん、フォントや文字のアキなど悩み抜き、今月、やっと産み落とすことができました。
『ヒキガエルがいく』
パク ジォンチェ/作 申 明浩・広松由希子/訳 岩波書店
本体1800円+税 2019
湿った季節、水辺の生きものとなかよくなって、のたりのたりと楽しくお過ごしくださいな。
お知らせです。
1.『ヒキガエルがいく』の作者、パク ジォンチェさんが出版に合わせ、7月に韓国から初来日します。大阪(7月20日、21日)と東京(7月23日、24日)で、イベントも企画されていますので、どうぞ遊びにきてください。わたしもひょこひょこ登場する予定です。
詳しくは、
【大阪国際児童文学振興財団・大阪】
国際講演会 http://www.iiclo.or.jp/03_event/02_lecture/index.html
小学生向けワークショップ http://www.iiclo.or.jp/03_event/01_kids/index.html
【日本国際児童図書評議会(JBBY)・東京】
JBBY世界の子どもの本講座 http://jbby.org/domestic/post-5057
2.『ヒキガエルがいく』の原画は、日本巡回中のブラティスラヴァ世界絵本原画展で展示されています。7月13日から8月28日、最終会場のうらわ美術館(埼玉県)で見られますよ。わたしは7月15日の講演会にうかがいます。
詳しくは、
【うらわ美術館・埼玉】
ブラティスラヴァ世界絵本原画展 https://www.city.saitama.jp/urawa-art-museum/exhibition/upcoming/p064849.html
広松由希子 ひろまつゆきこ/絵本の文、評論、展示、講座や絵本コンペ審査員などで活躍中。
2017年ブラティスラヴァ世界絵本原画展(BIB)国際審査員長。著作に絵本『おかえりたまご』(アリス館)、「いまむかしえほん」シリーズ(全11冊 岩崎書店)や 2001~2012年の絵本案内『きょうの絵本 あしたの絵本』、訳書に『ヒキガエルがいく』(岩波書店)『うるさく、しずかに、ひそひそと』(河出書房新社)など。2020年8月、絵本の読めるおそうざい屋「83gocco」をオープン。https://83gocco.tokyo
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