子どもがどの本を選ぶのかが密かな楽しみ。作家・工藤あゆみさんの読み聞かせ【うちの読み聞かせ・13】
気になるあのママ・パパは、絵本をどんなふうに楽しんでいるの? 親子の読み聞かせについて語っていただく連載。今回は、イタリア在住の作家、4歳のお子さんのママである工藤あゆみさんに、お話をうかがいました。
イタリアでのコロナ禍、ロックダウン中に描いたイラストをSNSで発信し続けた工藤さん。ロックダウン中のお子さんとのお話もおうかがいしました。
イタリアで
「KAMISHIBAI」を身近にしたい
── 工藤さんはお子さんにいくつのころから絵本の読み聞かせをされていますか?
娘が6か月の頃からです。
── 読む絵本は、どうやって選ばれているのでしょうか?
娘がその日の気分で3冊ほど選びます。
日本語、イタリア語、英語の絵本があるのですが、娘が選ぶのは日本語が多いです。言語や内容だけでなく、本の大きさや厚み、カバーの色の組み合わせなど、娘がなにを選ぶのか全部が密かな楽しみです。
絵本を両手に抱えて「今日はこれ!」と持ってくる姿が愛おしいです。
── 3言語の絵本とは、グローバルですね!
娘は言語に関係なく、彼女にとって怖い話、悲しかったり嫌な感じがする絵やストーリーが含まれる本は受け付けません。
友人が読まなくなった絵本を譲ってくださったので絵本は多くあるのですが、そういう理由で実際に手に取る本はとても限られています。
── 日本の絵本はイタリアでは手に入りにくいですか?
お店ではヨシタケシンスケさん、tupera tuperaさん、安野光雅さん、酒井駒子さんなどのイタリア語翻訳絵本をときどき見かけます。ミラノとボローニャの本屋さんでは日本の絵本(未翻訳)が数冊置いてあるのを見たことがあります。
── 工藤さんが絵本を買ったり借りたりするとき、何か決めごとはありますか?
我が家の場合、「本屋さんに行く=私の本の納入に行く」なので、本や絵本を買うときは、本屋さんに感謝の気持ちをこめて買います。
私が買うときは、部屋に飾った時を想像して好みのビジュアルの絵本を選びます。この店に置いてあるのならストーリもいいのだろうと本屋さんを信頼して文章にはほぼ目を通しません。
娘が買うときは彼女の一存で決めています。借りるときも同じで、限度冊数めいっぱい彼女の好きな絵本を借りています。そちらの選書は娘にまかせて、自分は小説や画集を借ります。
── 工藤さんご自身は、読み聞かせはどういうときにされますか?
絵本を読むのは多くは寝る前、布団の上でゴロゴロしながらです。
私は本来サービス精神も熱量も低めで声も小さめの人間です。でも、娘が生まれて気が付いたことなのですが、「絵本」や「紙芝居」というツールを与えられると興に乗ってしまう性格のようで。そんなつもりはないのになぜか全力で頑張ってしまい、娘の反応が良すぎるのでますます張り切ってしまいます。
親子で楽しくなって全然寝付けなくなる時もよくあります。
── 紙芝居といえば、娘さんの幼稚園で披露されているそうですね。
私が小さい頃に家や学校で紙芝居に親しんでいた記憶があり、どこかでその話をした時、ほとんどの人に「なにそれ? 知らないわ」と言われました。そもそも紙芝居が日本文化という意識も私自身になかったので驚きました。
外国の文化体験で終わらず、「KAMISHIBAI」が身近にあっていつでも楽しめるものになって欲しいなと思いながら上演をしています。
── 子どもたちの反応は?
だんだん前のめっていく姿、集中が続く子、途切れてそわそわする子、そして「おしまい」と私が言うと即「もう1回!!!」と真顔で言う子……。ものすごくピュアでイノセントなものに包まれて胸がいっぱいになりすぎるので、上演はほんの時々でいいです。
本当はイタリア人に、自分たちのものとしてやってもらいたいのですが、今のところ「KAMISHIBAI」には「AYUMI KUDO」が呼び出されます。
工藤さんの
思い出の読み聞かせ絵本3冊
── それではこのへんで、工藤さんの思い出の読み聞かせ絵本3冊を教えてください。
『夜のおたんじょう会へ』
(きたによしこ/作 ニジノ絵本屋)
女の子と犬と「たましい」たちとの交流のお話で、「ぼうしケーキ」の紹介を歌う場面もあって読むのもとても楽しい1冊です。イタリアでこの作品の紙芝居を上演するために家で何度も練習しました。
いつも観客役を務めてくれる娘は、この作品で「たましい」を知りました。
先日、娘の曾祖父が亡くなり火葬されてお骨になったときに、誰も座っていない席に「おおきいじいちゃんのたましいはここ」とお皿を置き、「食べてくれたよ!」「たましいにいつでも会えるから大丈夫」と言っていました。
本を通じて「たましい」という抽象的な概念が彼女のなかで確実に存在していて、彼女なりに死と死者を怖がることなく丁寧に、大切に扱い交流しています。そのようすに、私たち大人の心も慰められました。
紙芝居を見たイタリアの子どもたちはどのように「たましい」を受け止めているのかな。無理に言葉にすべきではないと思っているので私から尋ねたりはしませんが、少し知りたい気持ちもあり、いつも我慢しています。
「たましい」との交流はイタリアの大人にとっても異文化であり斬新に感じているかもしれません。
『しましまぐるぐる』
(かしわらあきお/作 学研プラス)
娘が大好きです。一番好きだそうです。いつも読みながら娘のようすを観察しているのですが、私にはなぜこんなに娘が夢中になるのか、わかりません。そういう作品と本をつくれる作者さんと出版社さん、すごいなあと感心しています。
娘が自分とは違う価値観や視点を持っていると発見した時に私は喜びを感じます。それが年齢特有によるものだったとしてもやはり私には興味深いことで、そういう意味でもこの本をずっと愛している娘のようすを見守っています。
私自身は今の娘の年齢(4歳)の頃、好きだった絵本が思い出せません。
娘はこの本の他にも、『ぐりとぐら』(なかがわりえこ/作 おおむらゆりこ/絵 福音館書店)、『わたしのワンピース』(にしまきかやこ/絵と文 こぐま社)、『うしはどこでも「モー!」』(エレン・スラスキー・ワインスティーン/作 鈴木出版)、『よいしょ』(三浦太郎/作・絵 偕成社)などが好きなのですが、この「好き」は今後どのような変遷をたどるのか、彼女の本棚と記憶に君臨し続ける1冊はあるのか、こっそり楽しみにしています。
『星どろぼう』
(アンドレア・ディノト/作 アーノルド・ローベル/絵 やぎたよしこ/訳 ほるぷ出版)
字が読めない年頃の私がどんな絵本を楽しんでいたのか思い出せないのですが、読み聞かせをよくしてくれていた父によると、父自身がアーノルド・ローベルさんの絵本が好きで兄と私によく読んでいたそうです。
『ふたりはともだち』(三木卓/訳 文化出版局)や『どろんここぶた』(岸田衿子/訳 文化出版局)などがありますが、私が好きだったのは『星どろぼう』。最初は読み聞かせだったと思いますが、少し大きくなってからは、ひとりで繰り返し読んでいました。星や夜の表現が今見てもいいなあと思います。
他にも『おはなしばんざい』や『ローベルおじさんのどうぶつものがたり』(ともに三木卓/訳 文化出版局)などが好きで、当時はなぜ好きかとかどこが好きかなど考えもしなかったのですが、おそらく、こびのない絵とストーリーや、(残酷すぎない程度の)アイロニーな視点に魅了されていたのだと思います。
ロックダウンのイタリアで
毎日SNSにイラストを投稿
── 工藤さんは、作家として書籍を出版されていますが、お子さんとの読み聞かせの時間が、ご自身のお仕事や書籍づくりに影響していると思うことはありますか?
娘が私の著書『五感』(2012年ボローニャ絵本原画展入賞作品を収録した自費制作本)という本を今日の1冊として持ってくることが多くあります。大人ならさらっと読む表現に対して、娘から「どういうこと?」という言葉があるので、私がどういう気持ちで描いたかを伝えて、それに対して娘の意見がある……というやりとりが続きます。
ひとりで黙読すれば1分ほどの本が、ふたりで会話を楽しみながら読むとカラフルで、みずみずしくて、主人公が右往左往して大忙しです。
娘と一緒に自分が書いた本を楽しむ。その幸せは私の作品全体に、なにかしら反映されていると思っています。
── イタリアでも「絵本」は広く読まれているのでしょうか?
伝統的に言えば、本や絵本は大切な日、例えばクリスマスや誕生日、結婚記念日などなにかしらの記念日の贈り物としての役割はあるかもしれません。
私の著書も贈り物の1冊として選ばれることが多いと書店員さんから聞いています。実際にサインをするときは、「親戚の子の10歳のお祝いに」「結婚〇周年の記念に妻へ」「ご主人を亡くして元気のない友人に」など、具体的なお話を聞くことも多いです。
── 紙芝居のお話が先ほど出ましたが、「読み聞かせ」はイタリアにもあるのでしょうか。
読み聞かせについては、今まで誰にも聞いたことがありません。
個人的には、「読み聞かせをしますか?」という質問は相手に……特に母親にプレッシャーを与える可能性があるなと思っているので、あえて私からは聞かないことのひとつです。
時間的なことや体と心の状態、経済的なことなど、さまざまな理由から子どもとの関わりが自分の思い描くようにはならないジレンマを抱えている人は多いと思います。人によっては焦りを感じたり落ち込んだりするかもしれません。
例えばイタリアでは「あなたのこどもは、絵本は好きですか」と聞かれます。
ただ、その時の私と夫の答えは一致しません。育てている娘は同じなのにそこから受け取る印象はこうも違うのだな、主観っておもしろいな……そしてちょっぴり怖いなとも感じます。
── 今回出版された著書『キスの練習をしています また会える日のために』はイタリアでのロックダウン中に描かれたそうですね。
私が暮らすロンバルディア州で感染が確認されてから、イタリア全土がロックダウンするまで、あっという間の2週間でした。
その2週間の間に私が個人的に見たこと感じたことは日本では報道されておらず、知ってほしい! 伝えたい! と渦中にいる者としての使命感のようなものが自分の中で湧きあがり、それが描き始めるまでの導火線になりました。
そこに火をつけたのは「“私は家にいる”政策(ロックダウンの際にイタリア全土に出された政策 “IO RESTO A CASA”)」そのものではなく、そういう日でも相変わらずお茶目な娘と、どこまでもポジティブな夫のようすでした。
どんな風に、どんな気持ちで暮らしているかを日本の人に伝えたいと思い描き始めましたが、ものすごいスピードで状況が悪くなる中で制作のモチベーションも変化していきました。
そして、いつしかイタリアで暮らす人々に宛てて「私はこんな1日を過ごしています。あなたはどうですか? 元気にしていますか?」というお手紙を出すような気持ちで毎日描いてはSNS上でアップしていました。
── 描くことの終わり決めていたわけではなかった?
ロックダウンが始まった当初は2~3週間ほどで終わるのかなと根拠なく思ったのですが、その2週間で一気に状況が悪くなり、ロックダウンの終わりなんて見えなくなりました。
描くことの終わりも全く考えもできないまま描き続けていました。
先を想像することがとにかく怖く、今日だけを、今だけを考える。世界とイタリアの状況はちらっとで、目の前の自分の家族だけを見る、というのを意識的に心がけていました。
── ロックダウン中、お子さんとのかかわりで変化はありましたか?
3歳(当時)の子どもがマンションの1室に閉じこもる。それはやはり不自然で不健康な環境です。心身の成長著しい娘が私と夫しか関わりがないということにもとても緊張しました。とにかく彼女の言うことや表情、態度に私の全部を傾けていました。娘も私たちをよく観察していて、それはお互いさまでした。
見あって、聞きあって、会話をして、遊んで、手を握りあって、抱きあってキスをすること。今思えばそれが私たちのベストだったと感じています。
「こんなことができなくなった」と私が感じていることに対して娘は「じゃあこうしよう!」という提案をいくつもしてくれて、なににも翻弄されない彼女の姿は私の希望の星でした。
── 変化は他にも?
絵本を読む時間が増えすぎました。
体を動かすことはラジオ体操と室内をぐるぐる回ることぐらい。体力を有り余らせた3歳児に、絵本を読んでも読んでも眠くならない。リクエストに応えて「毎晩10冊、2時間」という日々で、ロックダウンと絵本のことを思い出すと今でもくらっとします。
ロックダウンが緩んだ後は、反動のようにしばらくは親子で絵本離れしていました。
── 暮らし自体にも随分と変化があったでしょうね。
天然酵母と手作りパン、お菓子作り、手打ちパスタ、乾物作り、保存食作り、パン床お漬物……ありとあらゆる手づくりを家族でやり尽くしました。そして、半年(休園3か月+夏休み3か月)後の幼稚園再開とともに一切やらなくなりました。
最近になって、ようやくパン床お漬物だけは再開しました。
今はまだロックダウン中の記憶が強烈で、コロナ禍の影響で暮らしの中で変わったことはたくさんあるのでしょうがパッとは思い浮かびません。
あれもできる。これもできる。とありがたく思いながら暮らしています。
工藤あゆみ
くどうあゆみ/絵と文章からなる作品を中心に独自の世界観を展開、ヨーロッパや日本で発表を続ける。ボローニャ国際絵本原画展2012年、2019年入賞。2018年『はかれないものをはかる』、2021年『キスの練習をしています また会える日のために』(いずれも青幻舎)を刊行。2002年よりイタリア在住。ミラノ近郊の街に彫刻家の夫と娘と暮らす。8/4~17まで東京・青山ブックセンターで『キスの練習をしています また会える日のために』工藤あゆみ原画展を開催中。
AYUMI KUDO www.ayumiart.com/
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