2023年5月20日

待って待って…重くて臭い箱がとつぜん家にやってきた【教えて!世界の子育て~ドイツ~】

海外ではどんな子育てをしているの? 日本から離れて子育てをするママたちに、海外でのようすを教えてもらう「教えて! 世界の子育て」。場所や文化が違うと、子育ては違うのでしょうか。日本での子育てや生活と同じこと、違うこと。各国からリアルな声を伝えてもらいます。
ドイツで子育てをする中原さんのお友達が持ってきたダンボールには……羊の毛!?

聞き間違いから始める
羊毛のある暮らし

「ほれ、羊の毛刈ったやつ持ってきたぞ」
チャイムも鳴らさずのしのしと庭に入ってきた友達は両手で抱えていた大きなダンボール箱をドスンとおろしました。

「お、おう! 大きな箱だね」
あいさつを反射的に返すも私の頭の中はハテナでいっぱい。羊毛持ってきたぞ……? どう言う文脈だろう。そう訝(いぶか)りながら箱を開けると、ぎゅうぎゅうに詰められていた羊毛がボワンと溢れ出してきました。なんてこった、あふれ出てきたのはボワボワだけではない。濃厚な、生き物の臭いもあたり一面に。
「羊の毛、良いにおいだろう? 刈ってそのままだから羊の脂もまだ馴染んだままでしっとりお肌に優しいぞ。じゃ、洗うのがんばってな!」

友達は箱を残してさっさと行ってしまいました。
まってまって。私は羊毛持ってきてなんて頼んでない。ひとっ言も頼んでない! 世間話の流れで「へー、羊飼ってるんだ? いつか毛刈りしてるところ見てみたいな!」とは言ったかもしれない。羊の毛刈りなんて子どもも大人も見て楽しいイベントですから、そりゃ見せてくれくらい誰だって言うでしょう。それこそ友達のプレイリストを一緒に聴いてて「この音楽いいね。なんてアーティスト?」って言うくらいの気軽さです。

でもそこで誰が「この間いいねって言ってたやつ持って来たぞ」といきなり楽器(だけ)を持ってくると思うでしょう。ふやけた脳みそで外国に住んでいると言葉の聞き間違い、言い間違いは日常茶飯事です。それでも暮らしているうちにそれなりに経験を積み「聞き間違い言い間違いのプロ」としてミスの後の尻拭いも、さっさとできるようになるものです。

私も一級のぼろぼろドイツ語話者としてそれなりに周囲の人と交流しており、何か行き違いがある場合には「おっと、こりゃ聞き間違えたぜ」と反省しつつ、また同じミスをしないように気をつけたり気をつけなかったり、忘れたり、まあそうして適当に暮らしているとこういう事が起きる。

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足元に残された箱を持ち上げてみるとかなり重い。おかしい。羊の毛って軽いはずでは。

よくわからないが洗ってみる

重くてくさい箱がとつぜん家にやってくる事が非現実的でちょっと面白いなと思ってる自分がいます。いや、まじでどうしよう。これは羊のいい匂いすぎてハエさんも来ちゃうから取り敢えず何とかせねばなりません。
意を決して掴み上げたどろどろデロデロの羊毛は一枚が大きく、汚れで茶色く、重い。それが何枚もある。ああ、こんなの綺麗にできるのだろうか。毛の束の中にみっしりと詰まったこの汚れが何なのか考えることは最初からやめています。

とりあえず汚れをゆるめなければならないのでバケツに入れた羊毛にぬるま湯を掛けてみます。すると更に強い匂いがモワモワモワワ~とあたりに漂い、それに釣られた娘たちがやってきました。
「おかあさん、このバケツは動物園だよ」
「そうだね動物の匂いだね」
「なにやってるの?」
「おかあさんにもわからない」バケツの中が溶け出したどろどろで茶色になっていくので、羊毛から汚れが落ちているのは確かなようです。水換えしながら、時々持ち上げては汚れのひどいところや固まりを摘んで揉みほぐします。

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デデーン!! 箱から取り出した一枚を広げてみるとこんな感じ。

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バケツの中はどろどろ。子どもたちは羊毛を引っ張り上げて「くさいね……うふふふ」「くさくていいにおい うふふふふ」と羊毛を嗅いでは離れ嗅いでは笑いして楽しそう。

作業を進めるうちにどこか高揚とした、不思議な心持ちになってきました。
羊毛の中に詰まっている物は間違いなく汚れ。はっきり言いましょう、半分はうんこです。だけど観察しているとこれがとても面白いのです。色々な草や木の実、石ころなんかが絡み付いていたり、色々な種類の虫が住んでいたり、何かのサナギが寝ていたり、そしてその上に苔が生えている。それは完璧な小宇宙。まるで小さな大地ではありませんか。おだやかに暮らしながらゆっくりと大地を纏(まと)っていった羊の、大地を刈り毛を得ていた古(いにしえ)の営みの一端がいままさに私の手の中にある。茶色いうんこ水に両手を浸した私は恍惚(こうこつ)と、心の深いところに積もった原始の記憶のようなものがふわりと舞い上がったのを感じていました。

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羊毛に生えてる苔。友達の家の羊が格別に汚れていた可能性もあります。うんこが溶けたぬかるみの上に寝転んだら一発でどろどろ羊のできあがりですからね……。

「このにおい……堆肥を作るの?」と帰宅した夫は聞きます。
「堆肥じゃないよ。羊毛を洗ってるんだ」
「何に使うの羊毛」
「わたしもわからないけど、羊の毛は大いなる母だって分かったよ」毛を洗いはじめて2日。これで綺麗になっているのか全く自信が持てないまま、つけ置きと水換えを繰り返していましたが、毛束の中の汚れが落ちるにつれて羊毛は軽やかな姿を見せはじめました。よかった、綺麗になりそう。見えて来た希望の光にほっとすると同時に、汚れを溶かし出す水の力はすごいのだなあと改めて思い至りました。ふんだんな水がなかったら洗うことは叶わなかったでしょう。バケツ一杯の羊毛を洗うのに、その4倍の水を必要としました。

コルキスの羊毛のゆくえ

毛束の中にはまだ草やワラが絡まっているけれど、茶色い水が出なくなったので区切りをつけ、干してみることにします。すると黄金色の羊毛が現れました。
「あんなにどろどろだったのに!」
「これはコルキスのGoldenes Vliesだね」
乾くにつれてふわりと空気を含み陽の光を浴びて輝く羊毛はまるでギリシャ神話の金羊毛のよう。においを嗅ぐと石鹸とひなたの羊のにおい。うんこの臭いはもうしません。あのどろどろからこの美しい素材が現れる、私たちは魔法を目の当たりにしたのでした。

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「ぱたぱた振ったらはやく乾くかも!」

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羊毛を洗いながらずっと考えていたことがありました。

この毛を洗ったところでいったい何をするのか、ということです。
一緒に作業していた子どもたちにも聞かれました「おかあさんこれで何するの」と。
「……よし、こどもたち、さくせんかいぎだ! 何を作ろうか? 作れるかどうかは分からないけど」
「リンゼはコルキスのカーディガンほしい」
「おいもさんFilzen(羊毛フェルト)しってるよ、いつも保育園でやるもん」
「カーディガンは編まなきゃならないから、編むには」
「毛糸がいるね」
「Mittelalterfest(中世の祭り)でフワフワからまきまきして、ぐるぐるを踏んで毛糸作ってる人いた!」
フワフワまきまきぐるぐるで毛糸を作る……言いたいことは何となくわかる。
「でもこれ、じゃりじゃりしてるよ。Filzen(羊毛フェルト)するにはSchafswolle(羊の毛)フワフワじゃないと」洗い上がって乾いたコルキスを見ると中にはまだ藁くずや石ころが絡み付いています。毛糸にするにもフェルトにするにもフワフワが鍵になりそう。

「よし、まずはゴミを取ってフワフワだけにできるか試してみよう」刈ったままの羊毛はところどころ繊維が絡み合い檻(おり)のようにゴミを閉じ込めています。
梳(と)かして檻をほどき、ゴミを取り除き、繊維の流れをととのえたい。
梳かすための道具、そういえば中世祭りで毛糸を紡いでたおばあさんが、凶悪な見た目の、鬼の背中を掻(か)くのに使いそうなクシを使ってはいなかったか。

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ふわふわのまきまき。子ども達は日本語を話す相手がお母さんしかいないのでどうしても日本語語彙が足りません。所々ドイツ語を交えながらも頑張って日本語を使います。

ということで櫛を作ることにした

羊毛を梳(と)かす作業はケーメン、またはカルディーレンといってそれ専用のブラシがあるようなのですがなかなかのお値段です。あれをするためにはコレが要る。コレのためにはソレが要る。なんか物が増えるな!? 突然やって来た臭い箱のためにわざわざ高い道具を買うのは癪(しゃく)だなあ。そして私は是非とも、あの中世祭りで魔女が使っていた、鬼の背中を掻くためのブラシを使ってみたい。

そこで薪の切れっ端を切り、穴を開けて釘をうち、鬼の背中掻きセットを作ってみました。これでうまく梳かせたらいいけど、まあ失敗してもいい。どうせ材料は薪ですからダメなら暖炉に放り込んでしまえば良いのですヒーッヒッヒッヒ!

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鬼の背中掻き。厚みのある硬いオーク材に穴を開けるのに、ドリル練習をしました!

電動ドリルは刃を真っ直ぐ面に対して垂直におろすのが難しく、最終的に膝を使ってドリルの刃を降ろす技を身につけました。一体誰の役に立つ情報なのかわかりませんが、どなたか鬼の背中掻きを作ってみたい方のために書いておきます。脇を締めてドリルを垂直に持ち膝で穴あけです。膝の軟骨は大事です。

いざ、フワフワを

受け手の櫛を万力で固定したら毛を櫛に刺していきます。
毛先をつまんでひっぱると束になってすぼっと抜ける。これをよく見てみると、毛先と思われる部分はちりちりと縮れていて、根本らしき部分は細い毛が絡まっています。少し揉(も)んで広げると砂や藁くずが指先に出て来て、物を作るにはまだまだ汚い。これは綺麗になるまでにどんなに手間が掛かることやら……テンション上がるぜ!

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刺し終えた毛束に、そっと鬼の背中掻きを差し込み、梳き取ります。

パラパラパラ……
「わあ!」
こどもたちから歓声があがります。
一度梳(す)くだけで小さなものから大きなものまでゴミがどんどんおちる!
「梳かすとこんなにゴミが落ちるのか~」
「髪の毛も梳かせば汚れが落ちるのかな?」
「昔の人はそんなに頻繁には頭洗えなかっただろうから梳かすのもきっと清潔に保つためにひつようだったのかもね」
「わたし髪の毛とかしてるから洗わなくても良い?」
「うーん、昔の人のあたまは臭かったんじゃないかな……」

手作業しながらどうでも良い話をぺちゃくちゃおしゃべりしていると、お喋りの方が楽しくなって何も出来上がらなくていいやと思えてきます。一緒に考えたり臭いを嗅いだりできたらそれで満足なのです。
そうやって手を動かすうちに受け手の釘に刺さっていた毛束は鬼の背中掻きに移りふわっふわに。これを攻守交代してもう一度梳かし終えたら、ふわふわな毛を少しずつひっぱり……。

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まきまき! 中世祭りで魔女がやっていたようすを見ていた甲斐がありました! まきまき……。

「できた!」

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ぱんぱかぱーん! 鳴り響くファンファーレ。

やりました! 何もできてないのにこの達成感!
さあ、ここからどうするか。
おいもさんにFilzen(羊毛フェルト)教えてもらおう。

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今回の海外ママは
中原さん
結婚を機に夫の故郷ドイツに移住。滞在年数10年を超えてもドイツ語に苦しむ。趣味はレストラン巡り、庭いじり、手芸などなど。掃除と片付けも趣味になったらいいのになあ……といつも思っています。2人の娘がいます。#中原ドイツ子育て Instagram @s_vn

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