2025年7月9日

ミュージシャン・俳優 古舘佑太郎さんロングインタビュー。父から、大好きな野球のために大嫌いな勉強も頑張ってやらないとダメだと言われたのが効きました【最新号からちょっと見せ】

高校在学中に、同級生たちと組んだバンドで注目を集め、メジャーデビュー。今は俳優としても活躍する古舘佑太郎さん。kodomoe8月号では、父親の古舘伊知郎さんに「音楽の才能があるわけない」と言われ猛反発した思い出や、先輩であるサカナクションの山口一郎さんに「狭い幅でしか生きてこなかった」と言われ、半ば無理やり苦手な旅に出たエピソードなど、古舘さんを今の姿へ導いたお話を伺いました。kodomoe webでは、古舘さんの子どもの頃のお話や、父に説かれたという「ごはんとみそ汁」理論についてなど、ロングインタビューの一部をご紹介します。

ふるたちゆうたろう/1991年東京生まれ。ミュージシャン、俳優。2008年にバンド「The SALOVERS」を結成し、ボーカル・ギターとして活動をスタート。2017年に新たなバンド「2」を結成。2024年に解散。2014年映画『日々ロック』で俳優デビュー。NHK連続テレビ小説『ひよっこ』や、大河ドラマ『光る君へ』に出演し、注目を集める。

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理詰めする父と
“お母ちゃん”タイプの母

同級生たちと組んだバンド「The SALOVERS」が高校在籍時から注目を集め、華々しくデビューした古舘佑太郎さん。元アナウンサーで人気キャスターの父、明るい母、そしてふたりの姉の5人家族の中で育ちました。

――小さい頃はどんなお子さんでしたか?

わかりやすく表現すると、落ち着きのない少年だったと思いますね。とにかくじっとしていられなかったです。4歳上と3歳上の姉がいて、ふたりがピアノを習っていたので僕も習うことになったんですけど、レッスンの間、座っていられなくてすぐ辞めちゃったくらいで。小学校に入ってからは忘れ物がすごく多くて、1年間の終わりに発表される「忘れ物ランキング」で僕だけ殿堂入りしてランク外になってました。

――授業中も結構立ち歩いてしまうようなタイプでしょうか。

そうですね。ひとつ覚えているのは、音楽の授業で先生のピアノの伴奏に合わせてみんなで歌うとき、「すいかの名産地」という曲でなぜか僕がテンション爆発して踊りだしちゃったんですよ。担任の先生が音楽の授業を確認しに来て「ほかの子に悪影響だからやめてくれ」って注意されました。

――(笑)。ご両親からもよく叱られていましたか?

父親は仕事が忙しくて家にあまりいなかったこともあり、怒鳴られるようなことはなかったです。ただ、理詰めはされるから、それはそれでキツかった(苦笑)。母親はいわゆる“お母ちゃん”って感じのタイプでした。小学4年生のときかな。翌日に必ず提出しなくてはいけないプリントを学校に忘れてきたことに、夕飯の時間が迫る頃に気づいて。親に言ったら絶対怒られるじゃないですか。それが怖くて食欲がなくなって、夕飯を全然食べられなくなり、母親に「どうしたの?」と心配されてしまって。白状したら「今から取りに行ってこい」ってすごく怒られたんです。私立の小学校に通っていたから、学校は家から電車を2回乗り換えないと行けない距離だったんですけど、それでもマジで取りに行かされました。

――夜にひとりで電車に乗るのは、小学生にはなかなかの試練です。

20時頃に着いて、ひとりで歩いた夜の校舎の中はめちゃくちゃ怖かったです。今話していて、映像で思い出せるほど記憶が鮮明です。そういう意味では母親は結構厳しかったのかなと思います。

――お姉さんたちとはどんな関係だったんでしょう。

姉ふたりは年子で同じ学校に通っていたから、すごく仲が良いんです。ふたりの遊びに入りたくて、よく犬の役でおままごとにまぜてもらってました。リードをつけて「ワン!」って。ふたりは距離が近いからこそ、昔は定期的に大喧嘩もしていて、そういうときは必ず僕が仲裁に入ってましたね。ちっちゃい頃からずっと、姉たちにとってのトラブルシューターみたいな存在です。

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母のおかげで自然と
ひとりで起きられた

――ご著書『カトマンズに飛ばされて』では、ご自身のことを「神経質で潔癖症」と書かれていました。今伺った幼い頃のエピソードはかなり活発な印象で、少し距離があるように感じます。

いや、神経質も潔癖症も、子どもの頃からなんです。学習机を買ってもらったときに、引き出しの中の物の配置を全部ぴったりきっちり揃えないと気が済まなかった。姉ふたりはそんなことしなかったんで、僕だけ母親に褒められましたね。あとは、朝起きると同時にパジャマをきれいに畳む習慣も、誰に習うでもなく昔からやってました。

――ご両親にそのようにしつけられたわけでもなく。

母親はむしろ大雑把でした。僕は父方の祖父に似たのかもしれません。僕が6歳のときに亡くなっちゃったのでおぼろげな記憶しかないんですけど、それこそ引き出しの中を綺麗に整理するような超几帳面な人だったらしくて。ただ、そのあたりの性格は大きくなるにつれて友達との出会いで少しずつ変わっていきましたね。大雑把な友達に振り回されたり、逆にそれが「かっこいい」と思うようになっちゃったりして。高校時代に遊びに行った男友達の部屋に飲みかけのペットボトルがブワーッと大量に置いてあって、僕はそれを「かっこいい」と感じてしまったんです。

――細かいことを気にしない様子がかっこよく見えたんですね。

そう。だから真似して、まだ中身が残ってるペットボトルをわざわざ部屋に置いてました。でも、それをきっちり並べてたから、意味ないんですけど(笑)。20代の間に「神経質より大雑把のほうが得することが多いな」と思ってわざと大雑把にしていくうちに、本当に大雑把になっていった部分はありますね。

――それにしても、おじいさま譲りとはいえ、誰にも何も言われずにきっちりした生活習慣を身につけられていたのはすごいことだと思います。

僕、寝坊で遅刻したことが人生で1回もないんですよ。なぜだろうと考えてみると、多分母親のおかげかも。これは嫌味でもなんでもなく、母親が朝起きられないタイプだったんです。だから僕にとって朝は己しか信じられないものだった。特に土日なんて少年野球の活動があるのに母親は起きないし、父親も昼夜逆転だから、自力で起きて朝ごはん作って食べて行ってました。

――偉いですね。それは何歳頃からですか?

小学校2、3年生ぐらいからですね。母親に今でも「申し訳なかった」って言われるんですけど、僕はマジで感謝してるんですよ。寝坊で遅刻しちゃう友達に話を聞くと、「昔から親がちゃんと起こしてくれた」って人が多くて。もちろんこれは一概には言えないですけど、うちは母親が朝に弱かったからこそ、僕が朝に強くなった。だから、親が100点満点ですべてが用意されていると、子どもが自力で物事をできるようになる機会が減るわけで、それはそれでどうなんだろう? と思うことはあります。いわゆる“完璧な親” 像をみんなが目指す必要はないのかもしれないな、って。

父に説かれた
「ごはんとみそ汁」理論

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――子育て当事者にとっては肩の力が抜ける言葉ですね。お父様に関してはさきほど「理詰めされた」とおっしゃっていましたが、どんな理屈を説かれたんでしょう。

「ごはんとみそ汁」理論っていうのを説かれたことがあります。僕はあんまり勉強が好きじゃなくて、どちらかというとスポーツばかりやっていたんです。野球が大好きで地元のチームに入っていて、そこでの活動が自分にとっていちばん好きなことでした。ただ、テストで点が悪くなってくると、母親が父親にチクるんですよ。父親はそこで「勉強しろよ」って怒って恐怖で僕を動かそうとはしないんです。その代わり、「ごはんだけ食べていてもおいしくないし、栄養が偏る。みそ汁ばっかり飲んでもしょっぱいだけで、体に良くない。ごはんとみそ汁、両方食うからうまいんだ。野球が大好きなのはわかったけど、それなら大好きな野球のために大嫌いな勉強も頑張ってやらないとダメだ」って言われて。

これはめちゃくちゃ効きましたね。それ以来、「好きなことのために勉強を頑張らなきゃ」って考えがずっと頭にあります。バンドを始めてからはバンドメンバーにも「俺らはバンド活動が大好きでやってるからこそ、親に文句を言われないためにも絶対勉強はしような」って声を掛けていました。

――教えが深く根付いていたんですね。

他に厳しく言われたのは「整体に行け」ってことくらいです。「お前は猫背だ。俺が金を出すから、整体だけは毎週行け」って。だから、父親との数少ない思い出のひとつが、小学校のときから一緒に整体に行っていたこと。父親が休みのときはたまにストレッチもさせられてました。これに関しては、もっと父親の言うことをやっておけばよかったと思ってますね。猫背のまんま大人になっちゃったし、体も硬いままだし。

――小学生を一緒に整体に連れて行くって、親子の過ごし方としてなかなか面白いですね。

父親は後ろめたさがあったんだと思います。子どもと過ごす時間があまりないから、偉そうに「勉強しろ」とかは言えなかったんでしょうね。「まっとうな仕事に就いてほしい」っていう考えはあったらしいですけど、僕がバンドを始めても直接的に「辞めろ」とは言いませんでした。ただ、「うちの家系に音楽をやってる人はいないんだから、才能があるわけないだろう」「そのダミ声でどうやって歌うんだ」って言われて、めちゃくちゃムカついて猛反発しました。

でもそれがガソリンになったから、そういう意味では感謝してます。母親は僕の活動をわりと応援してくれていて、父親は止めてくるっていう2軸だったからこそ、「やってやるぞ」という気持ちになれました。

――2年前にお父さまが初めてライブを見に来てくれたとき、親子のツーショットをインスタグラムに載せていらっしゃいましたよね。「32歳にして反抗期終了のお知らせです」と添えて。

いや、僕、実は反抗期がなかったんですよ。母親に反抗的な態度を取ったことはないです。父親とは仲が悪くなったり気まずくなったりはしたけど反抗していた感じではないんです。音楽に関して「才能ないんだから」って言われたら、普通にムカつくじゃないですか。それでも怒鳴り返したことは1回もなかった。でもああいうふうに書いたら面白いかなと思って書いたら、次の日に父親が出ている午後の情報番組でそれが取り上げられて「息子さん、ようやく反抗期終わったんですね」って言われてて……。すげぇ恥ずかしかったです。

kodomoe8月号では、父から反対されながらも貫いていたバンド活動についてや、ひとりでアジアを回った話など、インタビューはまだまだ続きます!

INFORMATION

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『カトマンズに飛ばされて
旅嫌いな僕のアジア10カ国激闘日記』
古舘佑太郎/著 幻冬舎 1980円
バンドを解散した古舘さん。自分自身も未来も見えなくなる中、サカナクションの山口一郎さんに「カトマンズに行け!」と命じられ、追い出されるようにアジア放浪へ……。

インタビュー/斎藤 岬 撮影/上澤友香 スタイリング/藤井希恵 ヘアメイク/川島享子(kodomoe2025年8月号掲載)

古舘佑太郎さんロングインタビューの続きは、kodomoe8月号でお楽しみください♪

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