2020年12月4日

山崎ナオコーラさんロングインタビュー。自分が生きている世界の他にもう一つ別の世界がある。本は私にとって救いの場所だった【前編】

ママたちの間で大きな話題を呼んだ、子育てエッセイ『母ではなくて、親になる』(河出書房新社)。その著者である山崎ナオコーラさんに、夫婦のカタチや子育てについて伺った、kodomoe2018年2月号のロングインタビューを全編公開します。
前編では、「甘やかされていた」と語るご自身の子ども時代から、小学生の時に衝撃を受けたという本、話題となったデビュー作などのお話をご紹介します。

※kodomoe2018年2月号に掲載のロングインタビューを全文公開。記事の中の年齢などは取材当時2018年のものです

Profile
やまざきなおこーら/1978年福岡県生まれ。『人のセックスを笑うな』(河出書房新社)で文藝賞を受賞し作家デビュー。『美しい距離』(文藝春秋)で島清恋愛文学賞を受賞。近著は『肉体のジェンダーを笑うな』(集英社 2020年11月発売)。モットーは「フェミニンな男性を肯定したい」。

7歳までひとりっ子
怒られた記憶なし

――どんなご両親だったのですか。

父が銀行員で母は専業主婦でした。小1のときに妹が生まれるまでひとりっ子でしたから、その頃は甘やかされていたと思います。誕生日でもないのにおもちゃを買ってもらったり。父親が35歳、母親も32歳と当時にしては遅めの結婚で、子どもが生まれたのも遅めだったので、結構ちやほやされてたんだと思います。厳しくされた記憶も怒られた記憶もなく、すごい甘やかされていた。私、幼稚園の年中か年長ぐらいで、肉っていうものが昔は生きていたということがわかって、ごはんのみを食べていた時期がありました(笑)。外食に行っても、ごはんを頼んでふりかけかけて食べてました。

――ご両親に「栄養が偏る」と叱られることもなく?

はい(笑)。親戚の家で、「たんぱく質が足りないとダメだよ」と言われて、「えっ」と思ったのを覚えてるんですよね。だから、小学校に上がったときにすごく苦労したんです。まだ「給食を全部食べろ」の時代でしたから。食べられないと教室に残されて、机と一緒に後ろに移動して、みんなが掃除してるところで自分だけ食べてた。どうしても食べられないと、給食のおばさんに謝りに行きました。本当に大変でした。とにかく怒られたり強制的に何かさせられたりってことが、家ではほとんどなかったので。

――では、7歳のときに妹さんが生まれたのは衝撃だったのでは。

1年生のときだったので、「私の妹」という作文を書いて、市の賞を受賞しました。どこかに展示されたそれを見に行った記憶があります。「私の小さな妹、早く遊びたいな」みたいな、他愛もない媚を売った作品です(笑)。

――作文と本心とは違った?

やっぱり実際は複雑だったと思います。7つ離れてると、いきなり親は私を大人扱いにしちゃうんですね。一気に、妹は赤ちゃんで私は親側のカテゴリーに入るみたいな感じになった気がしました。だから、多分そのあと段々ひねくれて、むしろますます大人ぶるようになった記憶があります。

――それは両親の関心が妹に集中したことに対する反発ですよね。

父親が妹に対して厳しいことを言ったら、「お父さん大人なんだからそんなこと言っちゃダメでしょ」とか、そういうことを言うようになっていました。中学校に入ると、新聞やテレビのニュースについて、よくわかっていなくても父親と対等にしゃべるような生意気な子どもになってましたね。

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