奥山佳恵さんロングインタビュー。子どもたちの今日一日の笑顔をどれだけ私たちが作ってあげられるか【前編】
2015年3月、書店に一冊の本が並びました。『生きてるだけで100点満点!』。女優であり、タレントの奥山佳恵さんがつづったこの育児エッセイには、子育てをめぐる葛藤、ダウン症という障がいを持って生まれてきた次男との暮らしが正直に書かれています。どんな子どもだって、子育ては大変、そして楽しいものだと、奥山さんは言います。
※kodomoe2015年4月号に掲載のロングインタビューを全文公開。記事の中の年齢・学年などは取材当時2015年のものです
おくやまよしえ/女優、タレント。1974年東京都生まれ。1992年に女優としてデビューし、以来ドラマや映画、バラエティ番組などでも活躍。明るく親しみやすい人柄で、男女問わず愛される。2001年にヘア&メイクアアップアーティストの稲葉功次郎さんと結婚。現在ふたりの男の子のママ。kodomoe webでは、奥山さんが全国津々浦々のラーメン屋さんを紹介する「ラーメン天国」を好評連載中。過去の連載「たのしむ子育て(全150回)」では、お子さんと一緒に料理を楽しむようすも。
友達や仲間がいると
子育ては楽しい
育児書に忠実に一生懸命やっていたけれど、一生懸命やることが子育てで幸せだとは限らない。
――仕事のとき、下のお子さんは誰が面倒をみているんですか。
長男の空良(そら)は小6(当時)なので学校ですが、次男の美良生(みらい)はまだ3歳(当時)。私と主人(ヘアメイクアップアーティストの稲葉功次郎さん)で時間調整をして、私が仕事のときは主人がみてくれます。ふたりとも仕事のときは友達とか、実家に預けます。
――友達が? それはとっても心強いですね。
湘南に住んでいるのですが、同じマンションに3、4世帯ぐらいの友達がいるんですね。なので、困ったときは誰にでもお願いすることができるので、それは子育ての大きな力になっています。
私たち、空良が9か月のときに、私が仕事に復帰したのと前後して湘南に引っ越したんです。それまでは都内で3人暮らしだったけれど、近所に友達も知り合いもいなくて、主人が仕事に行ってしまうと私と子どもとふたりっきりで、孤独の中の孤独を味わった。あのときはママになって楽しいと思えなかったから、仲間や友達ができると、子育てってこんなに楽しいのかと気づきました。
――都会での子育てが合わなかったんでしょうか。
夫婦ふたりの生活だったら快適でした。でも、子どもを育てるのには向いていなかった。27歳で長男を産んだのですけど、周囲にはまだ産んでいる人がいなくて、母も仕事をしていて、誰にも甘えることができなかった。私の子育ての仕方も上手じゃなかったんですね。分厚い育児書を読んで、「日光の当て方。バスタオルかぶせて一日15分ずつ、ひざ下から当てなさい」と書いてあると、毎日その通りやってたら心が壊れそうになって。たぶん私、育児ノイローゼの“ノイロー”の“ー”の字ぐらいまでいってた(笑)。一生懸命やってたんですが、一生懸命やることが子育てで幸せだとは限らない。すっごく追い詰められていました。
――切実だったんですね。
主人は帰ってくるとき、ひと息おいて「よしっ」と気合い入れながらドアノブを回してたらしいんです(笑)。鬱屈とした私がいるわけですよ、家には。部屋から漏れているんですって、負のオーラが。一回、主人の「ただいま♪」の語尾に「♪」がついてたのにカチンときて、「いいよね、外の空気吸ってきている人間は楽しくて。私も行きたいわっ」と言ったことがある。なんか気にくわなかった(笑)。
――アッハハハハ。
そんな毎日を過ごしていたら、主人が、「湘南に引っ越さないか」と言ってくれたんです。私は思い切って環境を変えてみようと思うぐらい追い詰められていたので、もうどこでもよくて、湘南の青い海と空と風とに接したとき、一気に開放感を得られたんです。「あっ、環境が変わるってこんなに心が変わるんだ」と思った。また、引っ越した先の住人の方たちが、心の垣根が非常に低い人ばかりで、直接受ける海風プラス、人との風通しのよさも感じて「あっ、楽だな」って思えたときに、肩の力が初めて抜けた気がしました。子育ても人間関係も青空のブルーになりました。それが12年前の話。私が笑顔になるとたぶん家も回るんです。