2021年11月3日

工藤ノリコさんインタビュー「どんな状況下の子どもにも、楽しい時間を届けたい」

「楽しく安心できる世界」を絵本の中に作り出したい

――私の息子は工藤先生の本が大好きです。 絵本を読んでいるときの表情を見ると、まるで大好きなアイスクリームを食べているようです。 そのような無邪気な幸福感は、作者の創作の観点から、どのように実現しましたか? 絵本作家として、子どもたちの心を本能的につかみ、幸せを感じさせる本を作るには、何が一番大切だと思いますか?

子ども読者に楽しんでもらうことを目標にしているので、息子さんの様子を聞いて大変嬉しく思います。

私は常に「子どもだった頃の自分と弟たちが喜ぶもの」を作っています。読者を「他者」として自分の外側に想定するのではなく、子どもだったときの自分にとって楽しいものは何かという、自分の内側を追求して作ります。そうすることで、ほかの子どもみんなも同じように楽しめるものになると思うからです。

どの本でも、1冊の絵本の中にはひとつの世界が存在し、批評や比較の視点を持たない無垢な心の子ども読者は、その世界をそのままに受け取ります。作者の私の心に嘘がなければ、その世界は真実の世界になり、子ども読者が信頼し安心して楽しむことができる場所になる。かつて両親が私たちきょうだいに与えてくれた「楽しく安心できる世界」を絵本の中に作り出し、子ども読者に提供したいと願っています。

もしかすると私自身も、そのような「子どもの頃の幸せな世界」をまた見たいと思うから、このような作品を作り続けているとも言えるかもしれません。

『センシュちゃんとウオットちゃんのはらぺこキャンプ』『センシュちゃんとウオットちゃん おやつのくに』(小学館)、『ふゆって どんなところなの?』(学研プラス)、『フローリアとおじさん』(白泉社)、『マルガリータとかいぞく船』(あかね書房)。

――グルメ、キャンプ、スーパーマーケット、キャンディー、おもちゃなど、日常生活で最もよく見られるものや場面を何度も描かれていますが、どのように毎回異なる光、色、材質を表現しているのでしょうか?

子どもが絵本の世界に没入して楽しく過ごすためには、画面が説得力をもっていなければその世界は成り立たないと思い、毎回必死に描いているだけなので、どうやって描いたかという技法的なことは、完成すると毎回忘れてしまいます。できれば覚えていたいのですが……。

――作中のキャラクター、ひよこ、ペンギン、ノラネコは、キャラクターの設定に何か違いがありますか? それとも互換できますか?

「キャラクターを設定する」ことはしていません。まず物語を考え、その世界について考えていく中で自然に生まれてくるのが登場人物たちなので、それぞれがそれぞれの世界で自然に生きている感じです。

どの登場人物も、私にとっては実在の人間や生き物と同じ存在なので、互換できるかという発想自体がありません。それぞれが、かけがえのない存在です。

『ノラネコぐんだん おすしやさん』(白泉社)より

絵本を通して、同じ世界を見ている

――絵本作家として、子どもの心理的特徴を知る必要があると思いますか? また子どもの心理的特徴をどのように理解していますか?

子どもの心理的特徴については、考えたことがありません。私は子ども特有の「状況」を考えて作品を作っています。それは大人社会の中にまるっきり無力な存在で置かれているという状況です。

子どもは与えられた環境のもと、与えられた状況の中で生きており、自分の意思で何かを選んで行動することはまだできません。生活の上で選択権を持っていないのが、子ども特有の「状況」です。大人から与えられてたまたま出会った絵本が面白かったら、その子は楽しい時間を過ごせるだろうと思うので、そのために全力で作っています。

人間生活の経験がまだ足りず、無垢な心であるために、もし周りの大人の存在がその子にとって安全でない場合、毎日が非常に困難な状況になってしまいます。最も良くない場合、「自分が悪い子だから、罰としてこの苦痛を与えられているのだ」と思い込み、強烈な自己否定のもとに生きることになってしまう。このような心理的体験をした人は、大人になっても無意識下でこの自己否定の影響を受け続け、生涯に渡って苦しむ場合がある。

さきほどあった質問のように「タイムマシン」に乗って、そういう子ども時代を送って苦しんでいる人の過去に行き、「あなたが悪い子なのではない。この状況に黙って耐えているあなたはとてもがんばっている。この状況から抜け出せる日が将来必ず来ると信じてほしい」と伝えることができたら……と、よく考えます。

子ども読者は、私が「楽しんで見てくれるだろう、自分が子どもだったときにこういうものが好きだったから」と考えて細かく描いたものを、まったくそのとおりに見て楽しんでくれます。絵本を通して、子ども読者たちと一緒に同じ世界を見ているという感覚が常にあります。どんな状況下の子どもにも、楽しい時間を届けたい。そのために、子どもが心から楽しく読めるものを作りたいと思っています。

――日本の絵本作家は「かわいい」スタイルが得意です。創作の中で、何か違った「かわいさ」を求めていますか?

登場人物たちの様子や表情が自然であるように心がけて描いています。たとえば映画などで俳優の演技を見るとき、観客を泣かせよう、笑わせようとして大げさな表情や表現をしている場合、私は共感できません。それと同じことをしないように気をつけています。

子ども読者は私の作品の登場人物たちを「自分に似ていてかわいい」と感じるから、嬉しく見ているのだと思っています。その子自身の内面にあるものを、登場人物の姿に投影して見ているのだと思います。

大人読者の場合は「自分の子どもに似ていてかわいい」または「子どもだったときの自分と似ていて懐かしい」と感じているのだと思います。私と同じように、今はもう終わってしまった楽しかった子ども時代を作品の中に見ているのかもしれません。

『ノラネコぐんだん アイスのくに』(白泉社)より

生きるうえで絶対に必要な、「もうひとつの世界」

――子どもの本には、作家の心の衝突がよく見られると言われています。一方は、子どもを守りたい、子どもに伝えたい、これから入る世界は素晴らしいよと。 一方は、この世界には闇があり、悲しみがあり、悪いことが起こることを子どもに思い出させようとする。 創作の過程で、このような衝突を感じたことはありますか?

子どもがこれから入る世界は素晴らしいかどうか。戦争と対立、争いと暴力の世界、力と金を持つ者が支配するこの現実世界を、無垢で非力な存在の子どもたちに、何とかして生きていってほしい。しかし私には、「もうひとつの楽しい心の世界」を絵本の形で見せることしかできません。

自分の外側の世界(現実世界)がいかに困難なときでも、心の内側に絶対安心な確固たる「もうひとつの世界」を持つことができれば、その世界を信じることができれば、心を強く保つことが可能になる。そのことを子どもが知るためのものの、小さなひとつを作ることができればと願っています。

私の内面にはかつて子ども時代に家族で過ごした安心できる世界があり、それが今もずっと自分を支える柱になっています。これからも生涯に渡り、自分を助ける心の世界の基礎であり続けると思います。

このような「子ども時代の家庭での体験」だけでなく、絵本などのような読み物や、音楽や、先生や師との出会いなど、さまざまにあると思いますが、その人にとって信じることができるもうひとつの世界を心にもつことは、人間が現実世界を生きるためにどうしても必要だと思います。

また、ある人物の行動を知ることによって世界を信じられることがあると思います。例えば紛争地域で人々の生活向上のため灌漑事業に命を賭して従事した人がいると知ることで、人間の世界を信じようと思うようになる。また子どもの頃は好きな作品世界そのものにただ浸っていたが、大人になって、その世界をその世界たらしめようとした作者の意図と信念があったと知ることで、そういう作者がいたこの現実世界を信じられるようになる。

この世界は素晴らしいと子どもに伝えるとき、それは私にとってはこのような心の世界、人間同士で助け合う心の世界です。

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