2024年5月12日

アイゼナハに行ってきたんだけど超面白かったから聞いてくれ。前情報ゼロで行った車の博物館が思いのほか見ごたえがあった・前編【教えて!世界の子育て~ドイツ~】

海外ではどんな子育てをしているの? 日本から離れて子育てをするママたちに、海外でのようすを教えてもらう「教えて! 世界の子育て」。場所や文化が違うと、子育ては違うのでしょうか。日本での子育てや生活と同じこと、違うこと。今回、ドイツからリアルな子育てのようすを届けてくれるのは中原さんです。

アイゼナハに行ってきたんだけど
超面白かったから聞いてくれ

古い車の博物館があるから行こうぜ! っていう夫に付き合ってアイゼナハというドイツの真ん中らへんに位置する街に行ってきました。

ドイツといえばメルセデスベンツ! BMW! フォルクスワーゲン! ポルシェ! わたしですら知っている車メーカーがたくさんあります。前情報ゼロで行く車の博物館、入るとまず出迎えてくれるのが鉄とオイルの匂い。そして車のご先祖みたいなやつ!
「なにこれ車?」
「車……かもしれないね?」
「可愛い!」

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あなた車?……あなたを車と呼んでもいいの?「Wartburg」製造年は1899年! まだ第一次世界大戦も始まっていないドイツ帝国時代のものです。その年はどんなことがあったのかな? と調べてみたら川端康成が生まれた年でした!

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映画の中でしか見たことのない車がたくさんでシャッターを切るのに大忙し。

ラッパがついた車、これはクラクションのかわりに使っていたんでしょうか。
こうやって見ると最初のモデルは「輪っかにソファをつけてみました」といった見た目。ドアも屋根も車らしい骨組みもありません。そこにドアがつき、そして布製の雨よけ幌が備え付けられ、顔つきがバッタみたいになるにつれ全体が鉄で覆われていく過程が分かります。

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ドアのノブの位置も今とは違いハンドルの真横です。んん?このノブ、サイズも形も古い窓とかについてるノブとそっくりだなぁ。もしかして窓の部品を使ったのかな?

「おかあさん、この車、木でできてるよ!」
子どもたちの声に振り返ると塗装が剥がれた車、よく見たら木製です。
どの車も車輪が自転車から持ってきたのかと見まごうほど細く、ぱっちりお目々のようなまん丸ヘッドライトをしています。このライトは古い自転車のものにそっくり。
「なんで自転車とかミシンが一緒に飾ってあるの?」
「自転車工場とかミシン工場が『おれんとこも車作ってみよう!』って作り始めたんだね」

自動車の製造は、知識も技術もゼロのところから始まったわけではなく、板金工場、ミシン、自転車、タイプライター製造業など、ものづくりを手掛けるあらゆる分野の会社が『自社の鉄を扱う技術』を用いて作り始めた、と解説が。モーター+車輪という単純な車ですからとりあえず身近にあった自転車の材料や既製金具を用いたりしたのですね。

この時代のものづくり、創意工夫、人の血が通っているのが見えて胸が熱くなります。

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いまでこそ軽く小型になったミシンも100年前は足踏み式の鋳物(いもの)。タイプライターも、とても重い鉄の塊です。

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工房を再現した一角。カナヅチ、やすり、鉋(かんな)にのこぎり。こんなふうに全部手で作っていたんですね。

とある工場の歴史

この可愛い車たちのメーカーはDIXIディクシー。ボンネットをパカパカと折りたたんで開けたその下には、現在の自動車とは比べ物にならないくらいささやかな大きさの、可愛らしいエンジンがちんまりと座っています。

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「この車の顔、バッタみたいでかわいい」と子どもたち。車の鼻っ面についてるフィギュアがまじめにコミカルで可愛い。おじさん……のような馬のような……ケンタウロス?

ディクシーは元々、兵器と自転車の製作所アイゼナハ車両製作所として1896年からアイゼナハの地に創業していました。
1898年からはフランスのメーカーからライセンスを借りて「輪っか+ソファ」の自動車ご先祖モデルの生産を開始し、1903年にはディクシー社と社名を改め、いわゆる車らしい車の製造へとハンドルを切ります。車だけに!
ふーん……ディクシー? アイゼナハ? 知らないけど。
誰もがそう思うはず。前知識ゼロで来たわたしもそう思ってた。
さっきから車両の背景になってる青と白のコントラストをご覧ください、何か思い当たりませんか?

BMWの色です。そう、アイゼナハでディクシーを作っていた工場は1928年、BMWに買収されBMWアイゼナハ工場として稼働していくのです。

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ちょうカッコいい古いBMW! ドイツでの発音はビーエムダブリューではなく、ベーエムヴェー!

戦争とプロパガンダと自動車産業

ここからはBMWと呼びましょう。
1928年のドイツがどんな状態だったかというと、今の私たちが想像もできないような貧困と不満と不安渦巻く社会でした。
人々に職も十分な食べ物も無い状況を打開できないワイマール共和国(当時のドイツ政府)への不満からナチ党が急激に台頭。ヒトラーが首相に任命されてしまうほど政治的混迷を極めていました。

そんな時勢に、政権を取ったナチスから復興と発展の象徴として軍需産業として多大なる後押しを受けたのが自動車産業です。1936年には南アメリカでのレースにドイツ車が参戦、勝利を収めてきたようすなどが憧れのモータースポーツとして大々的に喧伝(けんでん)されます。

苦しい暮らしをしていた民衆は「自国の勝利」という誇らしげな響きに自らを重ね、これから自分達にも良い時代がやってくるにちがいない! と夢見たことでしょう。
私たちはこの後ナチスが良い時代をもたらすどころか地獄を生み破滅に向かうことをよ~く知っているわけですが、当時の人々にそれが分かるはずもなく、このショーは政権に好感をもたせるためのプロパガンダとして効果を発揮しました。
レースやラリーはナチの広告舞台であり、政府高官らが乗り回す自動車は権力の象徴としても用いられていきます。ヒトラーの政策のひとつとしてアウトバーン(ドイツの高速道路)建設の推進がありました。アウトバーン建設自体はナチ政権以前から計画されてきたことでしたが、ヒトラーはこれに更なる力を入れます。なお一般労働者には車なんて逆立ちしたって買えませんでした。

1939年ナチスドイツがポーランドに侵攻し第二次世界大戦が始まるとアウトバーンを軍用車が我が物顔で走るようになり、BMWはナチ高官や富裕層に向けてのエレガント車を作る傍らで軍用車両や飛行機用エンジンの製造も手掛けるようになります。

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「おかあさん、なんで兵隊の写真があるの?」
「BMWは戦争のために車やバイクを作ってたんだよ」
子どもに聞かれてどこまで話したらいいんだろう、戦争の話をわかりやすく、言い過ぎることなく曲げずに伝えるって責任重大……と迷っていたら、博物館にはわかりやすいビデオ解説もありました。
子どもたちもすこしずつ学校で学び始めている第二次世界大戦の話は、ドイツに住んでいる以上避けられないテーマであり、日本人としてもよく尋ねられるテーマです。

新しい道路を颯爽(さっそう)と走るBMWの軍用バイク、エンブレムがきらりと光る自動車と将校。たくましい兵士と戦車などのブロマイド集やポストカードがナチによって製作され、人気を博しました。
ナチス政権にとって自動車産業を支援することは戦争をするのに大変都合が良かったのです。鉄鋼業、船舶事業、航空技術に自動車産業、世界中の様々な分野に言えることですが、BMWもご多分に漏れず、プロパガンダとしても軍用工場としても、おおいに活躍していたのです。

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レース

忘れてはならないのは、ナチが行っていた犯罪です。近くのブーヘンヴァルト強制収容所から人員を接収しBMWの工場で強制労働させていた記録や人々の名前を連ねたリストが解説パネルと共に大きく展示されていました。

終戦とアイゼナハ。
君は赤いBMWを知っているか

1945年、終戦を迎えます。敗戦した日本にはアメリカがやってきて戦争が終わりましたが、ドイツの場合は連合国とソ連がやってきてドイツを二分し、こんどはアメリカとソ連がドイツで睨み合いを始めます。ドイツの戦争は終わらなかったのです。

アイゼナハはソ連に占領されました。占領軍はめぼしいものをすべて接収、略奪し自国に持ち帰ります。BMWのアイゼナハ工場からも当然、車という車は全て木箱に詰められ、まるで芸術品のようにソ連に持ち去られました。

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終戦間近、爆撃でボロボロになったBMWアイゼナハ工場にはピカピカの車を作り続ける余力なんて残っておらず、アルミの食器や木製の荷車を製造していました。飛行機じゃなくて木製の荷車です! この荷車何に使うためだと思いますか? 空襲から逃げる時に家財や毛布を積んで運ぶためです。

東西ドイツの断裂はいよいよ明確になります。アイゼナハの工場はソ連所有になった後も継続して車の製造を続けていましたが、ミュンヘンのBMW本社から商標の権利裁判を起こされ、車の製造ライセンスを取り消されてしまいます。

「えっ、どうしよう! 車を作らないと明日のパンが買えないよ!」
アイゼナハでずっと車を作り続けてきた人々にも暮らしがあり食いぶちを稼いでいかねばなりません。
ドイツ帝国からワイマール共和国、ナチス・ドイツ、そしてドイツ民主共和国(東ドイツ)へと国の名前が3度変わり、社名も3度変わったこの工場は時代にもみくちゃにされるプロ。

名前を変えて車の製造を続けることにしたのです。
EMW、Eisenacher Motorenwerkと。

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そ、そのロゴ、丸パクでは……! ベーエムヴェーからエーエムヴェーへの転身。この赤はソ連の赤、共産主義の旗の色。

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BMWならぬEMWの時代

旧東ドイツの時代というのは人々も時間も閉じ込めたカプセルのようだと思います。
EMWになってすぐの1950年代はBMW時代に培った技術でハイクラスモデルを生産し西側諸国に輸出していましたが時代が進むにつれ、カプセルの中で時が止まったままの東ドイツは資本主義の技術発展からあっというまに置いてけぼりを喰らい、生産モデルはどんどん時代遅れに。旧東ドイツ製の車は1980年代になっても予備のガソリンタンクと予備の部品を積み、真っ黒な排ガスを吐き出しながら走っていました。旧東ドイツの車、形もエンジン音もとてもキュートなんですけどね。

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車が壊れたら自動車整備工場に持っていくのが普通だと思っていますでしょう。旧東ドイツでは工場の予約も新しい部品も基本、数年待ち。超庶民モデルの車トラバントでさえ買うには12年待ち。大事なことなので大声でもう一度。『12年待ち!!』ネジ1個すらも無駄にはできない旧東ドイツの社会で、人々は自分の家のガレージで修理でも何でも自力でやっていました。

1990年東西ドイツが統一されるとEMWはオペルに買収され、オペルの工場として現在に繋がっていきます。この展示の何が良かったって、車の技術発展ー! とか、車のご先祖可愛いー! だけでなく、時代の様相と、自動車産業のもつ軍需の側面を多くの展示物ととともに丹念に解説していたことです。
いやー見応えあった!

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『いっけね、アイゼナハ観光の目玉はこっちだった』に続く……

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今回の海外ママは
中原さん
結婚を機に夫の故郷ドイツに移住。滞在年数10年を超えてもドイツ語に苦しむ。趣味はレストラン巡り、庭いじり、手芸などなど。掃除と片付けも趣味になったらいいのになあ……といつも思っています。2人の娘がいます。#中原ドイツ子育て Instagram @s_vn

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