ドイツの昔の暮らしってどんなの?中世がテーマのお祭りに子どもたちと参加しました【教えて!世界の子育て~ドイツ~】
海外ではどんな子育てをしているの? 日本から離れて子育てをするママたちに、海外でのようすを教えてもらう「教えて! 世界の子育て」。
ドイツで子育てをする中原さんが子どもたちと楽しんだのは、伝統的な中世のお祭り。
お祭りでの食べ物をレポートしてくれた食べ物レポート、そして昔遊びに続いて、今回は、中世の祭りに見る昔の暮らしです。
騎士、騎馬民族、武器屋、そして戦争の歴史
中世祭りに見る昔の暮らし編
お祭りはまだまだ続きます。
ドイツの夏は日が長い。中世のヨーロッパには『ドイツ』という国はまだ無く、「このあたりの人々」「あそこらへんから来た民族」というくくりで人々は交流や侵略を繰り返しながら交わっていました。陸続きのどこかの国から人が出たり入ったり、常に移動し混ざり合っていくようすを想像するのは、海に囲まれた国日本から来た私にはとても新鮮な感覚です。
中世祭り、ミッテルアルターフェストのレポ3回目の今回は、中世のドイツ周辺に住んでいた人たちの暮らしを見る異世界探訪です!
でっかいふいご(送風装置)をテコでゴウゴウ吹かして火の中に風を送り温度を上げ鉄を寝かせる。真っ赤になって軟らかくなったところを金鎚(かなづち)で叩く! 整形して、さましたら研ぐ。ああ、とても面白そう! 私もやりたい。
生活の道具や武器をこうして作っていたんだよという昔のようすがよくわかります。
中世後期には活版印刷が発明されるという人類史上重大な進展がありました。ここでは紙の作り方や印刷の仕組みを教えてくれます。
ファンタジー物語によく出てくる便利な魔法のお薬エリクサーを売るお店。フラスコみたいなビンが可愛いから何て書いてあるか読めなくても欲しくなってしまう。なんかドロドロどす黒いけど、いろんな効果が期待できるみたい!
催しの中でも特に人気なのが甲冑騎士や騎馬民族の騎馬ショーなど、戦いのショーです。
ドドッ……ドドッ……と地響きが近づいてくると翻(ひるがえ)る色鮮やかな軍旗とともに銀色の甲冑を身につけた騎士が馬に乗って駆け抜け、円錐形の大槍を抱えた騎馬による大迫力の打ち合いが始まります。土煙とともに立ち込める生き物と、飼い葉の匂いが、ああ実際にこうやって戦っていたんだと、リアルに感じさせる。
さあ騎兵の次はコーカサス地方の衣装を着た女の子が、波打つ馬上から弓を引きます。的を射た瞬間、大喝采!
そのまま馬を駆りながら背中にすっくと立ち上がり、腰の剣をさやから抜き払うと駆け抜けざまに藁苞(わらづと:藁を束ねたもの)をひと薙(な)ぎ! 華やかなアクションに「すごいね! すごいね!」と子どもたちが目を輝かせたところで鎧や鎖帷子(くさりかたびら)を着た歩兵がやってきて、鉄球や刀や斧を用いた戦いが始まります。
するとなんとここで、当時の騎士がどのように戦い、どのように人が死ぬのか解説が入りました。
驚愕です。子どもたちも見てる騎馬ショーで人が死ぬ解説をするおじさん。えっ、まじで……。と私の方がショックを受けてしまう。騎兵も武器もかっこいいね、華々しいね。けれど、それらは戦いや侵略の歴史と共にあるんだよ、という解説を子どもたちはどう受け取ったのか。
楽しいお祭りだけど、それだけじゃない。
考えてみたらヨーロッパは今も昔も戦争と民族の移動でマーブル模様を描いている。
剣より包丁の方が切れる?
実は……
鎖帷子……くさりかたびら、英語ではチェインメイルと呼ばれるこの金属の上着、一着作るのに職人は4か月かけたのですって! 一つ一つの輪は小さくて軽くても、衣服になるととんでもなく重い……!
鎖帷子屋さんの物でしょうか、他にも服飾や甲冑、武器がテントの前に干してあります。
それを見た娘が足を止め、
「お母さん、この剣よりリンゼの包丁の方がおネギ切れると思うよ」
と突然他人様の武器をネギで評価し始めました。
「は? 剣でおネギ?」
なんのこっちゃとよく見れば、剣は刃が全然研がれてなくて超なまくら。
本当だ。これなら娘の子ども包丁の方がまだ切れ味がありそう。お祭りの安全のために研がないで置いてあるのかなと思い聞いてみたところ、これがなんと中世からのオリジナルで残っている物なのだと。ええー!
中世の最初の頃の「剣」とは、ぶっ叩いて骨(主に首や鎖骨)を折るためのもので、刃が欠けるのを防ぐためにあえて切れないように作ったんだとか。上から打ち下ろす時にその剣の重みで打撃を与え骨や内臓を傷つける、そういう戦い方だったそうで、それが変わったのは8世紀、鎧ができてくることによってプレートの隙間に刃を差し込む必要が出てきた。そこで剣は初めて刃がついた。目的は差し込んで刺し殺すことなので剣の柄はより押し込みやすい、てのひらにフィットするような形になっていったのだそうです。
肉を切らせて骨を断つとかじゃなく、最初からへし折る目的なのか、騎士の剣。またしても日々の暮らしには全く活きない知恵がついてしまった……。
激重の甲冑
これが中世の戦場なら……
ところで、中世の騎士の甲冑、激重いです!
着てみる? と聞かれたらもちろん「うん!」と言うに決まっとる。さっきの騎馬ショーで見たアレだもの。
まず最初に、リネンと毛でみっしり織られたどっしり分厚い下着をきます。うう、暑い。むわっとする。
その上にさっき見た鎖帷子、これ重くてひとりじゃ身につけられません。着方を間違えると首を痛めるので必ずふたりで着るのだそうですが、言われるがまま、ばんざいして全身をくねらせてジャラジャラ鎖帷子を揺すりながらなんとか袖を通していると、こんな風に昔々の王子様は鎖帷子を着ていたの……? こんな風に、ミミズのように体をのた打たせて、戰の準備をしていたの? と、なんだか幻滅。
ジャラジャラと、夢の崩れる音がする。
ああ重い。肩も腕も重しをつけられたかのように重くって、ここでもう十分フラフラなんですが、その上に更に鎧や手甲が来ます。更に更に、頭部にも同じようにして着装していきます。兜を被ったらもう何も見えません! こんなんでどうやって戦うの!?
あまりの重さと暑苦しさにヨロヨロしてたら、「ちょっと失礼」と、足払いでステーンと地面に倒されました。
「えっ、なになに!?」
「それ着たまま起き上がれるか試してみて」
……んな、起きれるかぁぁぁぁ! と、思わず日本語で叫んでしまいました。
先程は、のたうつミミズでしたが、今はもはやホイホイのなかで足を動かせないゴキブリの気持ち。腕も頭も重くて持ち上がらず、地面に縫い付けられたかのように身体の自由が全く利かなくて、あおむけのまま全然起き上がれません。フガフガもがく母ちゃんを見て子どもたちが大爆笑してるんだろう、声は聞こえるのだけど兜の視界が最悪すぎて何も見えやしない。こんな5ミリほどの隙間から一体何を見ろってんだ。
起き上がれないよね、これが中世の戦場ならもう死んでるところだよ、と鎖帷子屋さんの声が降ってきます。
「転がってうつ伏せになってから、腕をついて起き上がるんだよ。それができたら腕立て伏せしてみて」
「……わかりました」
この時、私は試されているんだと思いました。『ロード・オブ・ザ・リング』に出てくる人間の姫エオウィンは、一国の姫でありながらその身を甲冑に包み隠して騎兵に混じり、ホビットのメリーとともに馬を駆り、人間の男には殺すことができない邪悪の龍ナズグルを討ち取った。
彼女は倒されても転がされても、立ち上がっていたではないか! うおおおおおお! 立て、私!
でも……腕立てなんて……無理!
エオウィンがとても強いと言うことがわかりました。
不便も楽しみのひとつ
さて、この中世祭りはフェスのようなもので数日間通しでテントに滞在することもできます。 現代の機能的なナイロン製テントではなく当時の装備で寝るテントです! 会場からレンタルすることもできるのだそう。 テントからかわいいナイトキャップをかぶって、リネンのワンピースみたいな寝間着(これもかわいい)で出てきたおじさんに不都合は無い? と聞くと、雨が降ったら最悪だけどそれも含めて楽しいから良いのだ、と胸を張っていました。
さすが……! 参加する心構えが違う。中世ファンは不便も含めて楽しむのですね。
ヴァイキング文化を研究しているひとたちのブースでは暮らしに使っていた道具や調味料、鹿の角でできた調味料入れなどを見せてもらいました。
伝統的なベルトの織り機、骨でできた笛や衣服を縫うための針、りゃく奪してきた奴隷を拘束する手錠。彼らは意外と清潔な文化で、と話しながら爪のお手入れセットや骨でできた耳かきを見せてくれました。
カラカラと糸車を回す童話の中から出てきたかのようなおばあさん。モジャモジャしたリネンの繊維をすこしずつひっぱりだしながら、糸車にかけて紡いでいく佇まいが美しい。チュニックを一着作るためには、まずは地面を柔らかくほぐし種を蒔いて亜麻(リネンのこと)を育てるのよ、長くて暗い冬に女の人は糸を紡いで機を織っていたの、と静かな声で教えてくれました。
推し時代、推し民族
そうそう、中世のお祭りファンは自前の衣装を持っているのです。
広範囲かつ1000年もの長期にわたるヨーロッパの中世ですからそれぞれの推し時代、推し民族の衣装を好きに着ている中世祭りを歴史に詳しい人がみたらまるでタイムトラベラーの待合室のようだと思うことでしょう。
ああ、想像してみよう。夜中まで奏でられる中世の音楽や紡ぎ車の音に耳を傾けながら、干し藁の匂いで眠り、朝日に起こされ、木の靴をつっかけて汲み置きの水で顔を洗う。
隣のテントから出てくるワンピース姿のおじさんと挨拶を交わす。手で洗って干しておいた衣装に着替えて、一杯のお茶を淹れるために焚き木を集める……。おや、なんだかとっても素敵じゃないか?
不都合もゆったりと包み込む素朴な時間に、焚き火をつつきながら夜はふけていきます。
現代の暮らしにはあんまり活きそうにない知識を色々と教わったけれど、こうして見ていると、そうか私が住んでいる街の人たちにはこういう暮らしをしていたルーツがあるのか、となんだか腑に落ちるところが多々ありました。
ここで生まれ暮らす私の娘たちは自然とここの歴史文化の上に根付き、それが彼女らを組成する一部になっていく。日本人の風習が常識と結びついている私とはまた違った素地をもっていくのです。
文化の見えるお祭りは、普段の私の暮らしの中では見えない、学ぶこともない部分に触れられる大切な機会だなと思うのです。