エッセイスト・古賀及子さんロングインタビュー。お母さんでも元気に笑顔で身ぎれいにって、そんなことできるわけないじゃないですか【最新号からちょっと見せ】
「kodomoe」読者に響く言葉を紡ぐ、エッセイの名手として知られる古賀及子さん。ご自身が子育てをするまでは、きょうだいが多くて常に赤ちゃんのいる環境で育ち、とことん世間知らずだったそう。ふたりのお子さんとの関わり方、そしてセルフケアの一環として毎日日記を書き続けることについてお話を伺いました。kodomoe webでは、古賀さんの子どもの頃のお話などインタビューの冒頭をご紹介します。
こがちかこ/1979年東京都生まれ。ライター、エッセイスト。2003年よりWebメディア「デイリーポータルZ」に参加、2018年からブログで日記を公開。著書に日記エッセイ『ちょっと踊ったりすぐにかけだす』『おくれ毛で風を切れ』(素粒社)、好物と自分探しエッセイ『好きな食べ物がみつからない』(ポプラ社)など。
子育ての毎日を誇って、
それから、面白がって
「kodomoe」2025年2月号の巻頭特集「母を休もう」に掲載されたエッセイ「母を休む、を休んでみる」。「母ではない、ひとりの人間としての私らしさを追い求めることを手放し、目の前にあることだけをやることにした」「母を休めない自分を、どうか責めないで」というメッセージが、大きな反響を呼びました。
文章を執筆したのは、古賀及子(ちかこ)さん。Webメディア「デイリーポータルZ」のライター、編集者として長年活躍し、近年はエッセイストとして続々と新刊を上梓。2018年からブログで毎日更新していた日記が、『ちょっと踊ったりすぐにかけだす』『おくれ毛で風を切れ』と2冊の単行本になり、日記エッセイの新たな旗手として、注目を集めています。
――「母を休む、を休んでみる」には、多くの読者から感動の声が届きました。
ありがとうございます。降りた話ですよね、自分らしくあろうと、いろんなことをするのを。
お母さんでも、生き生きハツラツ元気にいよう、機嫌よくいよう。そういう外圧、すごく強いと思うんですよね。あと、笑顔でおしゃれに、身ぎれいにって。でも、そんなことできるわけないじゃないですか(笑)。もう、産後なんて肌だってボロボロ、歯も悪くなるし、髪も抜けるし。
――母になると、世の中という舞台からいったん降りる感じがありますよね。
そうですよね。赤ちゃんを育てている間も社会に出る瞬間、仕事でなくても、たとえば役所に行くとかそういうときに、自分と世の中の差異をまざまざと感じますよね。乳児という野生と毎日向き合っているボロボロの自分と、社会がすごく乖離(かいり)してるから。
やっぱりそれぐらい、小さい子を育てるのって大変だと思うんです。だから、誇らしいという気持ちとともにいてほしいなと思います。こうしなきゃいけないとかじゃなくて、こんなに大変なことをしているっていうことに、自信を持ってもらいたい。
子育ての毎日は大変だけど、やっぱりすごく楽しい時期でもあるじゃないですか。かわいくてかけがえがないだけでなく、珍しい日々ですよね。人生の中でも稀有(けう)な体験をしていることを面白がって、誇ってほしいです。
――「私らしさ」を手放して身軽になるにしても、何を手放すのか、人によって優先順位が違ったりもしますね。
全然違いますよね。子どもが小さくても、きれいでいることはあきらめたくないっていう方もいるだろうし。毎日すっぴんでいいけど、あの人のコンサートにだけは絶対行きたいっていう人もいるだろうし。それから、私は24時間子どものことを考えていたい、っていう人もいるでしょうし。
だから、自分の道を見極めるっていうのも大事。とはいっても、やっぱり惑わされますよね。小さいお子さんを育てながらもキラキラ輝いている方を見ると、ギョッとすることもあるかもしれません。でも、もしも自分ができないことに対して何か負い目を感じていたら、どうか気にせず、元気出してほしいです、本当に。
家の中はずっと
赤ちゃんの世界だった
――古賀さんの子ども時代のお話も伺いたいのですが、5人きょうだいの一番上のお姉さんだったとか。
そうなんです。4人目の弟が生まれるときには、「あれ?」って思っていて。次から次へと子どもが生まれてくることに対して。3人まではまだ違和感なかったんですけど、4人目が生まれる頃に私は確か9歳で、「なんかうち、きょうだい多いな」って。
今では仲の良い5人きょうだいですけど、少し普通じゃない感じはしていました。
きょうだいが多いから、ずっと赤ちゃんの世界なんですよね。私がどれだけ成長して大人になろうとしていても、家の中の世界は赤ちゃんのまま。まわりの同級生たちはどんどん成長して、大人になるための準備をしていくのに、私だけはずっと赤ちゃんの世界にいる。家の中がずっと成長しない、私仕様にはならないことにちょっと居心地の悪さを感じていました。
同級生からも、よくからかわれてました。話題の芸能情報を一切知らないから。家のテレビでは、アニメとか「おかあさんといっしょ」がずっと流れてる。転がっているのは赤ちゃんのおもちゃ。クラスのみんながアイドルに夢中になって、好きな俳優が出ているドラマを「来週も楽しみ」とか言っているときに、私は「おかあさんといっしょ」を観てる(笑)。それに本当に違和感があって、恐ろしかったですね。
それで高校を卒業して短大に入学し、実家のある埼玉から、逃げるように東京に来ました。
――ちなみに、一番下のきょうだいとは何歳違いですか。
12歳です、ひと回り違う。だから、かわいくもあったんですよね。私、子どもの頃から「親バカ」っていう感覚がしっかりとわかったんです。妹や弟が、よその子にくらべてずっとかわいくて、うちのきょうだいだけが光って見える。
でも、「一番上のお姉ちゃんなんだから」と弟妹の世話をさせられるとか、家事を担わされるってことは一切なかったです。そこは両親も配慮していたのかもしれません。勉強もスポーツも、しろって言われたことはほぼなくて。ただ、起きて学校行って帰ってきて寝て、そんな10代前半でした。
手ぶらで世間に飛び出し、
流れるままに転がって
――では、そこから今のこのお仕事につながるきっかけは?
私、本当に世間知らずだったので。東京に出てきてもひとり暮らしをしたわけじゃなく、東京にいた祖父母の家に居候として転がり込んで。自立しなければならない強制力みたいなものがまったく働いていない、本当にありがたい育ちをしてしまって。
私が就職しなくても、祖父母も親も、何も言わずに見守ってくれて。内定は2社ぐらいからもらったんです。大家族で過ごしたから声は大きくて、大人に怒られたことがないから何も怖がらない。持ち前のハツラツさと怖いもの知らずで、圧迫面接とかも全然屈しない。なのに世間知らずすぎて、就職せず、という。
――そこで就職しなかったのには、何か理由があったんですか。
人のせいにしちゃいけないんですが、おそらくは、当時軽音系サークルに入っていたんですけど、真面目にバンド活動をやっている先輩たちは、「音楽をやりたい」って熱い気持ちを持っていて、就職しない人が多かった。それで「じゃあ私も」って、自分は別に本格的な音楽活動もしていなかったのに、本当に手ぶらで世間に飛び出してしまったという。
でも、さすがに「やばいな」って思って、ホームページの制作をするような会社にアルバイトで潜り込んで。まだホームページも走りの時代で、「空き時間は適当にネット見てていいよ」っていう感じだったので、そのときにデイリーポータルを見つけて、ライター募集があったので応募したっていう感じですね。本当に、とんでもないラッキーです。
――「愉快な気分になりますが、役に立つことはありません」とうたうWebメディア「デイリーポータルZ」。古賀さんも「納豆を一万回混ぜる」「たんすの角に足の小指をぶつけて骨折した」など、話題になった名記事を多数書かれています。
私が入ったのは、デイリーポータルがまだ設立2年目の頃です。最初はライターとして参加し、それから編集部に所属しました。何も知らない短大卒の私を株式会社に入れるという英断をよくしたなって思うんですけどね。英検4級も落ちている、何の資格も持たない私を。
ライターも編集も未経験だったのに、やっぱり怖いもの知らずですよね。でも、それぐらい「デイリーポータルが好き」っていう気持ちが大きくありました。
kodomoe6月号では、「仕事と育児、両立ではなくどっちつかず派」、思い出の絵本やスケッチブックを披露、などインタビューはさらに続きます!
INFORMATION
『巣鴨のお寿司屋で、帰れと言われたことがある』
古賀及子/著 幻冬舎 1760円
池袋、飯能、日本橋、そして湯河原……。自分の中の記憶を街単位でさかのぼる、書き下ろし最新エッセイ集。「なんだか懐かしい」だけではない感情をキレのある文章で綴る。
インタビュー/原陽子 撮影/馬場わかな(kodomoe2025年6月号掲載)