子育てと食べること、そして母としての思い【写真家・繁延あづささん&KIKIさんトークショー】
子どもの言葉に
ハッとさせられました
KIKI:繁延さんは「うまれるものがたり」という書籍で出産にまつわる写真を撮っておられて、こちらもとても印象的です。人と獣は違うと思いますが、「生まれること、生命ができること、食べて生きて死んでいくこと」というサイクルを、すごく見ているなと思います。
命の循環を追っているというか、撮っている作品がブツ切りではないんですよね。それは、興味があるものを追っているという感じなのでしょうか。
繁延:計画的ではないですが、そうだと思います。
私の仲の良い友達が下の子を産んだ時に、上の子が「赤ちゃんを病院に返してきて」と言った話を聞いたんです。病院で出産して帰ってきたら、病院で赤ちゃんを“もらってきた”ように見えたようで。
友達のその話を聞いて、私自身、真ん中の子どもが産まれるとき、上の子のフォローについては考えていました。受け入れやすい気持ちにしてあげたいと思って。
真ん中の子どもが産まれる前に助産師さんに相談したら、産院での出産も自宅での出産もどちらでも変わらないわよって言われたので、じゃあ家で産もうかなと、軽い気持ちで自宅出産を選びました。だから上の子は真ん中の子の出産を見ています。
そうしたら、ある日、上の子が「自分は人が産まれるところは見たことあるから、次、死ぬところが見たい」って言ったんですね。
「なんて怖いコトを言うんだ!」って一瞬思ったんですが、その時にハッとしたのが「私も同じことを考えてるかもしれない」と。
子どもの言葉にハッとさせられました。
人の輪郭としては、産まれるところと死ぬところしかないじゃないですか。自分が産まれたときの記憶がないから、産んだ時に「どうやって生まれたか」つまり「自分もこうやって生まれたんだ」と知った気がしました。
だから、「死ぬところが見たい」というのは、誰かが死ぬところを見たいんじゃなくて、自分がどうやって死ぬかを知りたいっていうことなんだと思いました。
見えそうだから
見たくなる
KIKI:どうやって死ぬかを知りたいという思いは、狩猟を見てみようとか、肉が来るところを見てみようということにつながりましたか?
繁延:狩猟を見たいと思ったのは、肉が明らかに動物のかたちをしていたからです。
本にもありますが、おじさんのあとに中村さんという猟師さんにもお肉をもらうようになったんです。中村さんのお肉は、とてもキレイにトリミングしてあって、塊は大きいけどきちんと精肉になっていました。もし最初にもらったお肉が中村さんのお肉だったら、私は狩猟には行かなかったと思います。
おじさんの動物のかたちを残した荒々しい肉だから、“その前”が気になったんだと思います。
見えそうだから見たくなる。見えそうになかったら見たくならなかっただろうと。だから、この書籍の表紙も“見えそう”にしました。
KIKI:表紙の写真は、すごくフォトジェニックで、かっこよくて好きです。
見慣れていない人が見たとき、表紙から受ける書籍の内容の想像と実際に書かれている内容とが、若干の差はあるかもしれない、と思いました。パッと見たときのインパクトと内容とが結び付きにくいかもしれませんね。だからこそ手に取ってページを開いてみて欲しいです。
繁延:そうですね。本の内容には、お母さん的なことがもっとあるので。
KIKI:書かれていることは、狩猟そのものとはまた違うと思います。難しいですよね。それを表紙に持って来ようと思うと。
繁延:「はじめに」にも書いていますが、私が山で感じたことは、人間の世界の当たり前を大きく裏切られるようなことでした。強くぶん殴られたみたいな。
表紙では、そのギャップみたいなものをガツン! と出したかったというのはあります。自分が受けた衝撃は出しても良いかなと。
会場からの質問:本の中で、捕獲された鹿のお腹の中に赤ちゃんが宿っていたというシーンがありました。それを見たとき、どんな風に感じられましたか?
繁延:お腹を開けるまでは、正直に言えば、見たかったんです。でも開けてしまったら、悲しかったんです。矛盾していそうで、自分は残酷だなと思うんですけど。
まだ動いていたんですよね。でもそれは、結局は生きていて動いているのではなかったんです。おじさんはそのまま埋めようとしましたが、私が「動いてる。生きてるかも」と言ったので、おじさんは私の言葉を聞いて開けたんです。たぶん普段は開けないものを開けたのだと思います。
その時期のメスの鹿が、お腹に赤ちゃんを宿していることはよくあることだと、おじさんは知っているので何てことはないんですけど、私には動物の赤ちゃんの姿が感じさせるものはすごく大きかったです。
KIKI:繁延さんは「もしかして生きていて助かるんじゃないか」って思ったのでしょうか。
繁延:思いました。でも私は本当は傍観者として来ているわけだから、そんな発想はダメだという気持ちもあったり、それ以上関わっちゃいけない気持ちもありました。でもとりあえず今、そのまま埋められてしまう前に引き留めるような気持ちで言っちゃったのだと思います。
言って後悔もしたけれど、自分の中に見たいという気持ちがあるということをはっきり知った時でもありました。
kodomoeの撮影で表現される世界とは、また違った繁延あづささんの写真や思いが感じられる書籍「山と獣と肉と皮」。子どもに食べさせていくことへの母の思いや命のめぐりなど、子育て世代にもおすすめの一冊です。
繁延あづさ/著 亜紀書房 本体 1600円+税
「かわいそう」と「おいしそう」の境界はどこにあるのか? 写真家の繁延あづささんが、長崎と佐賀の里山で狩猟者と過ごした4年間のドキュメント。
繁延あづさ
しげのぶあづさ/写真家。雑誌や広告での撮影のほか、出産撮影や子どもの撮影、また農・猟に関わる撮影も。近著に『うまれるものがたり』『長崎と天草の教会を旅して』(共にマイナビ刊)がある。『母の友』(福音館書店)。14歳&12歳の男の子、5歳の女の子のママ。